<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
2.2 呼吸に専注する四個の方法
①呼吸を知るーー観息 Knowing the Breath
もし、安般念を修習したいというのであれば、まずは、自然な呼吸(入出息)を知る事ができれば、それで充分である。
修習を始めるその最初、必ず以下の様に決意(作意)する事:
「私は自然な呼吸を知る(=知ろうと努めよう)」:
その後に、入息ーー知っている;
出息ーー知っている、これで充分である。
決して呼吸をコントロール(制御)しない事。
次に、もし、あなたが呼吸を五分間知る事に成功したならば、以下の様に決意しなければならない:
「今、私は呼吸を五分間知ることができた。私は、呼吸を10分間知る様にしよう」
この様にゆっくりと、徐々に決定(=決意)していき、可能であれば、15分間、20分間と決意して、出来れば30分までその様にし、呼吸を知る時間を徐々に伸ばして行く。
ある時には、ある種の禅修行者は、呼吸を半時間もの長い時間知る事ができるが、その場合、禅相(nimitta)が出現する。
しかし、それを見たり、相手にしたりしてはならない。
この段階の禅相は不安定であり、ある時には非常に明るいものの、次の一瞬には見えなくなったりする。
これは真正なる禅相ではない。
散乱を対治する方法は、ただ一つしかない。
それは考えない事であり、話(=会話)はなるべく少なくし、行・住・坐・臥において、呼吸を知り続ける事を保持する。
この様にすれば、二、三日の後に、心は益々安定して、定力が生起する。
生活の中(座禅・瞑想以外の時間)において、呼吸の入と出の状態に注意を払ってはならない。ただ、自然な呼吸を知っているだけで良い。
単純に「自然な呼吸を知っている」に依るだけでは、心を平静にすることのできない人は、
「入る、出る、一;
入る、出る、二;
・・・入る、出る、八」
と息を数える事にチャレンジするのもよい。
少なくとも5まで数え、最も多くて10までとする。
11、12、13とあまり多くを数えてはならない。
この様にすれば、修行者は混乱するからである;
またあまり少ない数、一、二、一、二の様な数え方もよくない。
この様にすれば、定力は生じる事が出来ないために、修行に成功することができないからである。
もし、息を数える事が困難な修行者は、無理やり息を数える様なことをしない。
その場合は、自然の呼吸が分かっていれば充分である。
(5につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>