Sayalay's Dhamma book

仏教書の翻訳は2019年夏をもちまして一旦終了しましたが、2020年発生しましたコロナ禍により、修行者独習に供する為、『親知実見』を翻訳しています。過去に訳出した23冊は<菩提樹文庫>にて閲覧できます。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

般若の独り言~人は四時間坐れるか?

本日、ブログの読者様より、「本雅難陀尊者は、四時間坐りなさい、と言うけれども、禅宗なら40分。なぜそれほど長く座らなければならないのか?」というコメントを頂きました。

彼にはコメント欄を利用し、基本的なお答えをしましたが(<安般念修持法‐9>コメント欄参照の事)

ここで再度、説明します。

四時間坐れ、というのは、あなたに nimitta(=鼻の前に出現する光=禅相)が出来て後の、初禅に成功した、あなたへの要求です。

安般念を修習しているが、nimitta が出ない禅修行者の

定は、遍作定といい、初禅はおろか、近行定でも、安止定でもありません。

初心者の座禅・瞑想は、足が痛くなったら、息を見ながら(=息から気持ちを外さず)、足をそっと替えるのはOKです。やせ我慢して、足を替えないでいるのが、偉い訳ではありません。仏陀の瞑想は、体育会系でも、我慢大会でもありません。

次に、安止定から説明します。

あなたに nimitta  が出来て、それを一時間程、保持できる様になったら、心を nimitta に投入する練習をします。

心を nimitta に投入したまま、一時間、二時間と、その状態を、保持しつづけられたなら、<安止定成立>となります(ここでは、初禅が成立しそうでありながら、しかし、いまだ成立していない定を<安止定>と、仮に定義します)。

このレベルから、心臓にある、意門の五禅支を確認する事ができた禅修行者は、「初禅成立」と評定されます。

安止定でも、身体(足)の痛みを感じなくなりますが、初禅を確立した禅修行者は、身体(足)の痛みは、ほぼ感じなくなります。

もし、初禅成立後、一時間で足の痛みを感じて、出定したなら、その禅修行者は「一時間の初禅成立」という評定になります。二時間で出定したら、「二時間の初禅成立」という評定になります。

基本的に、足を替えるか、替えないかに、拘る必要はありません。禅定(初禅~四禅)が出来る様になったら、ごく自然に足を替える必要性を感じなくなる、だけです(遍作定、近行定、安止定のレベルでは、足を替えたくなったら、そっと替える)。

初禅(~四禅)に入れる様になったら、身体(足)は、痛くならない。痛みを感じた時は、禅定が切れた時。その様にご理解下さい。

尚、目を開けても nimitta が消えなくなったら、歩く時も、食事中も、心を nimitta に投入し続けます。

すなわち、眠る時以外、入定したまま歩き、食べ、厠に行き、入浴もする訳です(<今、ここ>において、素粒子の無常・苦・無我を照見するには、一日中、定に入る必要があります)。

 仏陀の瞑想は《足を替えないで、どれだけ座っていられるか》を、競うゲームではありません。

修行者の心が、どれほど清らかで、どれだけ nimitta を保持して、入定していられるかを問う修行です(nimitta とは、心が清らかな人の、意門と鼻先に出現する光浄なる光。)

 尊者は又、「30分しか座れない人は、30分座った後、下座して、行禅をしなさい。座禅・瞑想は歯を食いしばってするものではない。」とも述べています。

尊者の「四時間座りなさい」は、初禅に入れる様、心を清らかにしなさい、という意味です。

足を替えたければ、替えて下さい。

自分は四時間座れるだろうか?と心配する必要はありません。それよりも先に、nimitta の出現する、清らかな心を育てて下さい(たまに、パオ・メソッドを一通り終了したものの、心が清らかでない者がいます。nimitta が出るから、即、心が清らか、とは限りませんので、ご注意下さい。)

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>