<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
今、あなた方が理解する所の、これはあなたの心、私の心と言っているのは、概念法である。というのも、あなた方は、「名聚」を看破していないが故に。
真正なる究極法とは:
眼門心路過程、耳門心路過程~意門心路過程、六門心路過程であり、あなた方の言う所の、あなたの心、私の心ではない。
五門心路過程とは:
(眼門)五門転向心、(眼識)双五識心、推度心、確定心、速行心、彼所縁心→意門転向心、速行心、彼所縁心(+の事である)。
一刹那毎の心は:「識」、触、受、想、思、一境性、命根、作意、尋、伺、勝解、精進、喜、欲・・・、すべての名法は、明確に、明晰に調べられなければならない。
この様に、観禅とは、究極法(名色法)を所縁としており、概念法(あなたと私の区別、行住座臥の活動)を、所縁とはしない。
禅の修行の時に、歩く時には歩くを知って、食べる時は食べるを知って、(+それによって)貪心が生起しないのを知るのは、善心ではあるが、それは、観禅ではない。
というのも、それはただの、概念法に過ぎないが故に。
(7につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。<翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>