Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-17

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

▲【安般念の修法】

次に、《大念処経》の中の「身念処」を紹介するが、先に「安般念」を、説明する。

まず、静かな森林、清潔な木の下などの場所を、選ぶ。

というのも、森林は、比較的静かであるから。

あまりにうるさい場所は、座禅・瞑想の邪魔になる。

家に子供がいる場合、子供の飛び跳ねる足音が聞こえると、心は、静かになる事ができない。

木の下は涼しい上に、空気もよいので、禅修行に向いている。

室内では、蒸れることがあり、自然な空気の流れがない。

森林、木の下で、足を組む。

身体をまっすぐに保って、座る。

静座するのは、身体を自然体にして、開放・解放するためであり、足はどの様に組んでもよい。

椅子に座ることもできる。

坐る時、尾てい骨は、座布団の様なもので支えれば、安定する。

その後に、頸椎をまっすぐに保つ。

正念力を「出入息が入り、出る場所」に保持する。

出息の時、出息であると知り、入息の時、入息であると知る。

禅修行者には、二種類の人間がいる。

一種類は、修法を聞いたことがない者で、もう一種類の者は、非常に多くの、異なった指導者によるリトリートを受ける者である。

この種の、あちらこちらのリトリートに参加したがる人間は、非常に簡単に、修法を間違ってしまう。

鼻が痛い、頭が痛くて爆発しそうだ、全身が不快でたまらない、と訴えるのは、このタイプの人間である。

安般念には、四個の段階がある:

出入息、長短息、全息、微細息。

安般念は、それぞれの仏が、仏陀になる時の業処であり、非常に単純で簡単である。

何等の条件も付加することもなく、ただ「出入息のある場所」がありさえすれば、よいのである。

出息の時は出息を知り、入息の時は、入息を知る。

もし、安般念を修習して、鼻が締まる、重い、痛いという人は、呼吸の出入りに注意を払ってはならない。ただ「自然な呼吸」を知っていればよく、それを守れば、痛みは薄れ(+問題はやがて解決する)。

(18につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

 (+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。<翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>