<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
生老病死以外に、「怨憎会苦」がある。
好きではない人と、なぜか一緒にいなければならず、それは例えば、同居している嫁と姑の様である。
お互いに、嫌い合っているのは明らかなのに、表面では、仲良しである様に振る舞う。
夫の実家の家族が嫌いな妻は、夫の姉妹が、我が家にやって来ても、苦であり、夫が仕事で会社に行った後、彼女が一人で、舅、姑と対応しなければならないのも、苦である。
夫が、外に愛人を作らないかと心配するのも、苦であり;
夫が先に死んで、自分を見てくれる人がいなくなるのを、心配するのも苦であり;
夫や、舅・姑の面倒を、みないといけないだけでなく、子供が真面目にやっていけるかも、心配しなければならず、女性の人生は、苦労が尽きない。
男性は、もう少し軽やかだ。
朝、会社に出勤して、夜家に帰る。
儲けたお金は、妻に渡す。
妻は、夫の給料を手にするが、彼がへそくりをしているのではないか、と疑うし、こっそり父母にお小遣いを渡してはいないか、と懐疑するし、外に愛人がいれば、大問題だ。
妻は、愛人の存在を心配して、時々、彼の財布の中身を点検するし、衣服に女性の毛髪がついていないかどうか、調べる。
こうした事から、女性は常に化粧し、着飾るものの、身体は病気だらけ・・・女性の生活もまた、苦しいものだ。
好まないもの・・・苦であり、愛しすぎるのも・・・苦であり、毎日、心が、心配事で一杯なのも、苦である。
女性の苦は、多々あるために、皆、禅の修行に来たがる。
男性は、牛や馬になってお金を稼ぎ、妻に渡す。
妻は、人生に息苦しさを感じるために、夫の稼いだお金で布施をしたり、リトリートに参加したりする。
リトリートの期間は、大変楽しいが、家に帰ると、苦労が絶えない。
女性の人生は、苦労が多い為に、大多数の女性は、善業、功徳をなすのが、好きである。
女性の、福徳の果報は、非常に大きい。
成長(+して結婚)すると、仕事に行かずに済む。というのも、夫がお金を稼いで、養ってくれるから。
これは、過去のおいて、彼女たちがなした、布施業の結果である。
(26につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。<翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>