<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
本日は、元々は、「安般念」について話をしたかったのだが、その前に、修行の方法について、理解を深めて貰いたいと思う(+ので、色々と説明した)。
ただ馬鹿みたいに、呼吸を知るだけ、ではいけない。
修行には、悚懼心が、欠かせない。
悚懼心のある人は、修行に成功する。
悚懼心のない人でも、修行は、するにはするが、その修行は、無駄になることが多い。
座禅堂で、座禅・瞑想する時、毎回、目を開けると、隣の人はみな、目をつぶって頑張っているのが見える。
「彼らは猛者だ」「すごいものだなぁ」と思い、自分だけが上手くいかないと嘆き、他人を羨ましがってばかりいる。
これは、悚懼心のない事が原因であるから、先に、概念的な苦を理解し、その後に、究極的な苦(+の修習)に進むのがよい。
▲修行には、二種類の方式がある:
純観行者と止観行者である。
純観行者は、直接、四大の修習をする。
四大をバランスさせた後、全身は「色聚」に変化する。
この方法は、あなた方華人には、非常に適合する。
というのも、あなた方華人は、仏陀への信心(=確信)が非常に弱く、必ずや、己自身で確認しなければ、気が済まない。
決定的に確信を得て後、初めて受け入れる。
あなた方華人は、人が言ったからといって、なんでも受け入れる事がない(この修法は、実修的な体験であるが故に、華人には、受け入れやすい)。
あなた方の表情を見ると、一見、師父の説法を受け入れている様ではあるが、実際は、あなた方の心は、ダイヤモンドの様に硬い。
故に、上記の修法は、あなた方に、非常に適合する。
(32につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。<翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>