<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
この女性禅修行者の疑問は:
「自分が確認した、この一粒の色聚の色彩は、それ本来の色彩であって、それが眼門において、発光しただけではないのか?」
というものであった。
師父は問うた:
「あなたは、幾粒の色聚を確認したのか?」
禅修行者:
「20粒。」
私は彼女に、100粒の色聚を確認した後、報告に来る様に、と教えた。
二日おいて、彼女はやってきて、言う:
「私は、眼10法聚を、確認する事ができました」
私は問う:
「あなたは、どの様な根拠をもって、眼10法聚を確認したと言うのか?」
禅修行者:
「私は、100粒確認した。90粒の後になって、初めて色彩が(+瞳孔を)打つのを、確認した。」
大部分の色聚は、それぞれ色彩を持っている。
しかし、一つひとつの色聚の色彩がすべて、眼浄色にぶつかる訳ではない。
眼浄色は、ただ前面の色聚の色所縁を受け取るだけである・・・色彩が(+瞳孔を)打つのである。
故に、あなた方にとって、この修法は、非常に適合する。
というのも、これほど明確、明晰に修行すると、あなた方は、非常に満足するが故に。
色法だけでなく、名法もまた同様である。
(35につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。<翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>