Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-47

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

上の事から、一人ひとりは、観禅 vipassana を修しなければならない音が分かる。

しかし、定力がない者は、それを修することができない。

というのも、《定經》において、仏陀は以下の様に述べている:

「定力があって初めて慧があり、定力が無ければ慧もない」

故に、純観行者であっても、近行定の定力があって、初めて観禅に進む事ができる。止観行者は、四禅八定を得て後、色法・名法(+の修習)に進む。

純観行者と止観行者が煩悩を断ずる部分に関して、それぞれに何等の差もない。

純観行者と止観行者が、ソータパナ、サターガミ、アナーガミ、阿羅漢を証得する道心心路過程や、断ずる煩悩は、皆同じである。

仏陀が断じた煩悩は、パーチェカ・・ブッダ、阿羅漢が断じた所の煩悩と、まったく同様である。

阿羅漢の意味は:一切の煩悩を断ずる事。

三種類の阿羅漢がある:

正等正覚の仏陀は阿羅漢であり、パーチェカ・ブッダもまた阿羅漢と呼ばれる。その上に、普通弟子尊者もまた阿羅漢である。

三種類の阿羅漢の区別はただ:四道心とそれに相応する智慧の広さ、深さと利益が異なるだけである。

(48につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。<翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>