<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
呼吸を知るという(+修習に伴って)正念力が上昇し、身体は自然に、軽く安楽に感じられる様になる。これは定力が上昇している証拠であり、この様な定力には五禅支:尋・伺・喜・楽・一境性が伴う。
喜悦の「喜」、安楽の「楽」、ある時には呼吸だけがある様に思え、身体はなくなった様に思う。これはよい現象であり、緊張する必要はない。
ある時は、座禅堂全体が消え失せた様になり、自分は天空に浮かんでいる様で、空中で呼吸を知っている感じがする。これは更に良い。
これらは必然的な過程であり、己自身を過剰評価してはならない。
ある種の人々には、非常に明るい光が生じるが、これらの光を見てはならない。というのも、この光は安般の目標ではないが故に。
(+どの様な時も)ただ静かに呼吸を知っていれば、それでよい。
第一番目の段階で、呼吸を知る時、もし、軽安で安楽な感じが出て来たならば、それらの軽安と安楽を見に行ってはならない。
ただ、以下の様に決意する:私は呼吸を知る事に努める。
その後に、呼吸に戻ってくればよい。この時、心は更に安定すし、呼吸は柔和なものに変る。
もし、呼吸が微細なものに変ったならば、己自身に確認する;
私は、呼吸の出る、入るに注意を払わない。
呼吸が微細になった為に、呼吸が消えてなくなるのではないか、と心配して、力いっぱい呼気と吸気をして、呼吸を明確にする必要はない。
この様にすれば、呼吸は即刻荒いものに変化して、先ほどの柔和な感覚も消失して、定力は落ちて、心は緊張し始める。
(58につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>