<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(二)「禅相に融入」には、もう一つの説明の仕方がある:
ちょうどプールの上から、プールを見ている時、プールの形状や位置、水の清潔さなどを明確に知る事ができる。しかし、ひとたび、プールに飛び込んだ後、プールの形状、水の様子などは知ることができないし、自分がどこにいるかも分からない。
禅相に融入するのも、この事と同じで、心が、ひとたび、鼻の前の禅相に融入してしまえば、鼻がどこにあるのか、禅相の位置、形状、明るさ、色彩などは、分からなくなる。
ある種の人々は、どの様にして、融入すればよいのか分からない、または半分融入して、半分は禅相の外にある・・・という問題がある。
これは、心がずっと鼻の前にあって、真正には禅相に融入していない、という事を意味する。
ただ時々融入するだけであるので、時々、軽安を感じたりする。
この段階においては、焦ってはならないし、緊張もしてはならない。
熟練するまで、何度も繰り返し練習する事。
必ず、目を閉じて、禅相に融入できる様になるまで、練習する事。
また、目を開けていても、禅相に融入できる様に、そのレベルまで熟練する様、練習する事。
(66につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。<翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>