Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『禅修指南』7‐1

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

第六章:色業処

pa Kammaṭṭhāna

《如何にして色聚の中の

四界を識別するのか》

色聚は、それらを生じせしめる事の出来る、業、心、時節(火界)及び食素という、四つの因によって、四種類に分類する事ができる。

すなわち:業生、心生、時節生及び食生色聚である。

色聚はまた、「明浄」と「非明浄」という二種類に分ける事ができる。

「浄色」(pasāda rūpa)だけを含む、業生色聚のみが、明浄である(+と言える)。

色聚を見る(+修習を)開始する時、禅修行者は、それらの生・滅が、非常に迅速である事を発見する。

この時、彼は、諸々の色聚を分別する能力が、未だない為、見ている色聚とは、なお体積を持つ、極微な粒子(+の状態を持つもの)である。

これは、彼が未だ、三種類の密集、すなわち、相続密集、構成密集及び作用密集を、看破していないが為であり、故に、未だ概念の境に留まっていて、尚、「小さな粒」または「小さな塊」(極微)の概念の下に、あるのである。

もし、更に一歩進んで、諸々の界(dhātu)を分別する事なく、これらの極微なる、小粒子の生・滅を観照して、観禅の修習をするならば、彼はただ、概念を目標にして、観禅をしているに過ぎない事になる。

こうした事から、禅修行者は、究極色法を見るためには、更に一歩進んで、諸々の界を、分別しなければならないのである。

まず、一つひとつ個別の明浄色聚の中、及び非明浄色聚の中の、地、水、火、風の四界を、識別しなければならない。

もし、色聚の生・滅が、極めて迅速である為、単一の粒の色聚の中の、四界を識別する事ができないならば、禅修行者は、それらの生・滅に注意を払ってはならない。

ちょうど、会いたくない人に会った時、その人を一目でも見たくない様に、それらの生・滅を無視して見ない様にし、ただ、単一の粒の、色聚の中の四界に、専注する様にする。

もし、それに成功しないならば、あなたは同時に、全身の硬さに注意を払い、その後に、単一の粒の色聚の中の硬さに、注意を払う。

この様にして、単一の粒の、色聚の中の硬さを、識別できる様になるまで、何度も繰り返して識別・修習する。

その後、地界のその他の性質、及び水界、火界、風界の性質に対しても、また逐一、この様に修行しなければならない。

上に述べる様に、禅修行者は、明浄色聚と非明浄色聚の中の、四界を識別しなければならない。

この修行に成功したならば、次にあなたは、目、耳、鼻、舌、身体と心臓の中の、明浄色聚と、非明浄色聚の中の四界を、逐一識別する修習に進む事ができる。

(7-2につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijyubunko.sakura.ne.jp/index.html

<本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版  中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>