Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

般若の独り言~本雅難陀尊者ある夜の法話

既出の通り、私は今年の 2月・3月、台湾は法雨道場と、苗栗三湾法華寺にて開催されました、リトリートに参加して参りました。

ご指導頂いたのは、緬甸パオ森林僧院出身の、本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda sayadaw)です。

ある夜の法話で、彼がご自身の生い立ちを、お話して下さいましたので、下に記したいと思います。

「皆さん! 仏法を学び、修行する時、経典を研究する以外に、論(アビダンマ)も読まねばなりませんし、註疏と復註疏も、読まねばなりません。」

「このどれか一つでも欠けると、仏法を誤解して、間違った法に基づいて、間違った修行をする事になります」

「經典に、翻訳の間違いがあります。《大念処経》でさえもそうです。自分の頭で考え、実践し、本当の仏法に基づいて、修行して下さい。」

「私が母親のお腹の中にいる時、父が亡くなりました。私は父の顔を知りません。母が再婚もせず、一所懸命に私を育ててくれました。」

「年の離れた姉が三人いて、一人が小学校の教師で、もう一人は、美容院を開いていました。

私は、小さい時からよく美容院のお手伝いをしたものですが・・・女性が美容院に来て話す事といったら・・・

パーマってすごく時間がかかるでしょう?

退屈した彼女たちが話す『ぶっちゃけ話』『夫の悪口』を聞いていると、私は女性不信に陥って、子供心に、<一生結婚するまい>と思ったものです(笑)。」

「でも、出家する事は、考えていなかったです。

何がしたかったか・・・子供心に色々考えていた様ですが・・・さて、何になりたかったのか??」

「私は、子供の時は悪がきで、やんちゃでしたから、よく喧嘩しました。そして、家に帰って姉に報告すると、箒で叩かれました。

『お前が勝ったら、敗けた子供の親が、怒鳴り込んでくるじゃないか』

と言っては叩かれ、

『負けるなんて意気地無しだ』

と言っては叩かれ・・・。

その為、私は

『自分は、前世で、どんな悪い事をしたのだろうか?』『是非、是非、前世を知りたいものだ』

と思う様になりました。」

「韓国で働いている時に、『パオ森林僧院で修行すれば前世が分かるらしい』という噂を聞いて、仕事を辞めて、パオで修行する事にしました。私の実家は、パオ森林僧院まで車で3時間くらいの所ですから、パオに行くのは簡単でした。」

「韓国での仕事は・・・働いて、食べて、寝る、働いて、食べて、寝る・・・対価としてお金を貰う・・・その繰り返しに意味はなく、何だか、とても虚しかったです。

ですから、飛ぶように帰国して、パオで出家しました。」

「母は、私の出家に反対しましたので、私は母に内緒でこっそり得度しました。母は、私が結婚して子が出来たら、三代一緒に住むのが、夢だった様です。」

「パオでは、修行が上手くいかない時もありましたが、その時は『修行の出来る法友の後ろ支えになろう』

『私自身は悟れなくても、法友が悟ってくれれば本望だ』

と思って、お寺にいるだけで嬉しくて、お寺の道路を造るボランティアに、精を出していました。

母が、私がパオにいる事を聞きつけて、会いに来た時は、炎天下の作業の為、私は顔が真っ黒になっていて、別人みたいだったそうです。」

「その後、母は、私が創立した<功徳禅林>に住む様になり、私から<縁起>と<名色分別>を学んで、去年、亡くなりました。亡くなったのは早朝で、言葉は交わしませんでしたが、穏やかに微笑んで亡くなったのは、禅定に入って往生できたからであって、私は比丘として、彼女に最高の親孝行ができたと思っています。」

「今こうやって、台湾や中国の弟子・修行者を初め、アメリカを含む世界中の華人に、縁有って、ダンマを指導できる事は、私の一生の幸せです。

私は、余り深い師弟関係を好みません。

皆さんも、私からダンマを学んだら、自助努力で頑張って下さい。勿論、私の禅林に来て修行したい人は歓迎します。聖なる沈黙を守れる人だけ来て下さい。」

「せっかく人間に生まれたのですから、今生で、最低限

<縁起>と<名色分別>の修行を済ませましょう。そうすれば来世どこに生まれても、一言仏法を聞けば<縁起>と<名色分別>の修行の体験・内実を思い出す事ができます。これは、輪廻の苦海を渡るには、非常に有益です。

皆様の精進と修行の成功を祈願しています」

  <緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>