Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

翻訳『禅修指南』8-1(97/520)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

第七章:名業処

Nāma Kammaṭṭhāna 

《純観行者の注意点》

純観行者は、必ず、先に、色法を徹底的に識別し、その後において、初めて、名法を識別するべきである。

これは、五蘊有情(pañca vokāra sattā)の名法は、必ずや、目、耳、鼻、舌、身体及び心所依処という、この六依処色(vatthu rūpa)の内の一つに依存しなければ、相続流(santāna)の内において、生起する事が出来ないからである。

六依処色とは、すなわち、眼、耳、鼻、舌、身の五浄色、及び心所依処色の事である。

禅修行者が、色法を徹底的に分別できる時、名法もまた、明晰にその智において、顕現する。

もし、未だ依処色を識別できないのであれば、彼は、名密集(注27)(nāma ghana)を看破しておらず、また、究極法を知見する智慧には、いまだ甚だ遠いものがある。

故に、徹底的に、色法を分別できて初めて、彼は、名法を識別することができる。

そうでないならば、「彼の禅修行は、退歩する」(kammaṭṭānato parihāyati)のである。

(《清浄道論》第18章)(注28)

《世間名法のみを観ずる》

名法は、二つの大きな類に分ける事ができる:

すなわち、心(citta)と心所(cetasika)である。

心はまた、世間及び出世間の、二つの大きな類に、分ける事ができる。

出世間心とはすなわち、四道及び四果であり、それらは、観智の所縁では、有り得ない。

禅修行者が識別するべきものは、世間名法であり、それはすなわち:欲界心、色界心、無色界心及び、それらと相応する心所である。

又の名を、広大心(mahaggata citta)と言う所の、色界心及び無色界心に関して、《大疏鈔》では、以下の様に言う:

’Labhino eva pana mahaggatacittāni supākatāni honti

ーー「唯一、已において、ジャーナを証得した者だけが、己自身が証得した所の、ジャーナ名法(jhāna nāma dhamma)を、識別する事ができる。」

未だジャーナを証得していない者は、欲界名法をのみ、識別する事ができる。

注27:四種類の密集に関しては、後述の項「四種類の名密集の看破」を参照の事。

注28:《清浄道論》第18章では、彼が斯くの如くに、色法を明確に識別した後に初めて、非色法(名法)が彼に対して、三個の方式でもって、明確に顕現する(+と言う)。故に、彼は、それ(色法の識別)を完成させた後に初めて、非色法の識別という任務に取り組むのがよい。反対の(+順序での)方式は、有り得ない。もし、彼が一、二種類の、明確に顕現する所の色法を識別した後、即刻、非色法の識別をするならば、「地遍の修習」の篇で述べられた母牛の様に、彼は、禅修行の業処から退歩する。

しかしながら、彼が、すでに色法を明確に識別した後にようやく、非色法を識別するのならば、彼の禅修行の業処は、増長し、向上し、円満に到達する。

(8-2につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijyubunko.sakura.ne.jp/index.html

<本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版  中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>