何年か前、私が緬甸のパオ森林僧院の Sayalay(尼僧)として出家した頃、ある一人の男性が、私の坊主頭を見ながら「宗教なんて人騙しだ」と言いました。
私は特に反論もせず、黙っておりました。
今、この男性は、奥様が病気で入院されて、大変なご苦労を背負っておられますが、私は彼にダンマを説かない。
因縁生起、無常・苦・無我を説く仏陀のダンマは、非常に難しい。
心を研ぎ澄まして聞法し、研鑽・研究、修行しなければ、その内実は、腹に落ちてこない。
ゴータマ仏陀は、法を聞く心の準備の出来ていない者に、法を説いてはならない、と言っていますし、また、よき田畑でなければ、種を蒔いてはならない、とも言っています。
仏法に対して、疑心暗鬼の者に、法を説かない。
誠に合理的な判断だと思います
(件の男性とは、会えば、普通に会話します。当方、仏教が嫌いだ、と言う人の人格までは、否定しません。日本は、歴史的要因によって、宗教嫌いな人は多いですから。
聞法のチャンスを逃して、もったいないな、とは思いますが、やはり、『己の心を虚しくして法を聞く』のは、大変に難しい事なのでしょう。
実際に、日本には<騙す宗教>も存在していますから、警戒心が先に立ってしまうのも、理解できます。)