<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
この事を強調する為に、《清浄道論》(第21章)及び
《殊勝義註》は、以下の様に、詳しく解説する:
’Yasmā pana na suddha
ajjhatta dassanamatteneva
maggavuṭṭāni hoti.
Bahiddhāpi daṭṭhabbameva.
Tasmā parassa khandhepi
anupādiṇṇa saṅkhārepi
aniccaṁ dukkhamanattāti passati.’
ーー「五蘊を内観するだけでは、『出起に至る観智』(注33)と道智を証得する事ができないが故に、外に存在する五蘊をも、外観しなければならない。
こうしたことから、彼はその他の(有情の)五蘊と『無執着行』(anupādiṇṇa saṅkhāra。すなわち:非有情)を無常・苦・無我と見做す(+修習をしなければならないのである。)
《中部・各別經》(Majjhima Nikāya、Anupada Sutta)の疏鈔では、以下の様に言う:
Tasmā sasantānagate sabbadhamme
parasantānāgate ca tesaṁ santāna
vibhāga akatvā bahiddhābhāva
sāmaññato sammasanaṁ ayaṁ
sāvakānaṁ sammasana cāro.
上に述べた疏鈔によると、声聞弟子の波羅蜜智(sāvaka pāramī ñāṇa)でもって、外観の修習をする時、有情の五蘊(この時は、彼らを男性、女性、有情、人類、天神などと分類しない)及び非有情(無執着行、anupādiṇṇa saṅkhāra)の時節生色をば、全体・一体として、識別しなければならない、と言う。
というのも、それらは、皆同じものであり、それぞれを、個別に識別する必要は、ないからである。
注33:「出起に至る観智」(vuṭṭhānagāminī vipassanāñāṇa)は、道智が出現する様な状況に至る観智である。それは、道心路過程(maggavīthi)自体、及び道心路過程の前の二、三個の心路過程を含む。
(8-59につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html
<本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版 中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>
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