Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『禅修指南』8-58(160/520)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

この事を強調する為に、《清浄道論》(第21章)及び

《殊勝義註》は、以下の様に、詳しく解説する:

’Yasmā pana na suddha 

ajjhatta dassanamatteneva

maggavuṭṭāni hoti.

Bahiddhāpi daṭṭhabbameva.

Tasmā parassa khandhepi 

anupādiṇṇa saṅkhārepi

aniccaṁ dukkhamanattāti passati.’

ーー「五蘊を内観するだけでは、『出起に至る観智』(注33)と道智を証得する事ができないが故に、外に存在する五蘊をも、外観しなければならない。

こうしたことから、彼はその他の(有情の)五蘊と『無執着行』(anupādiṇṇa saṅkhāra。すなわち:非有情)を無常・苦・無我と見做す(+修習をしなければならないのである。)

《中部・各別經》(Majjhima Nikāya、Anupada Sutta)の疏鈔では、以下の様に言う:

Tasmā sasantānagate sabbadhamme

parasantānāgate ca tesaṁ santāna

vibhāga akatvā bahiddhābhāva

sāmaññato sammasanaṁ ayaṁ

sāvakānaṁ sammasana cāro.

上に述べた疏鈔によると、声聞弟子の波羅蜜智(sāvaka pāramī ñāṇa)でもって、外観の修習をする時、有情の五蘊(この時は、彼らを男性、女性、有情、人類、天神などと分類しない)及び非有情(無執着行、anupādiṇṇa saṅkhāra)の時節生色をば、全体・一体として、識別しなければならない、と言う。

というのも、それらは、皆同じものであり、それぞれを、個別に識別する必要は、ないからである。

注33:「出起に至る観智」(vuṭṭhānagāminī vipassanāñāṇa)は、道智が出現する様な状況に至る観智である。それは、道心路過程(maggavīthi)自体、及び道心路過程の前の二、三個の心路過程を含む。

(8-59につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html

<本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版  中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

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