Sayalay's Dhamma book

仏教書の翻訳は2019年夏をもちまして一旦終了しましたが、2020年発生しましたコロナ禍により、修行者独習に供する為、『親知実見』を翻訳しています。過去に訳出した23冊は<菩提樹文庫>にて閲覧できます。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

翻訳『禅修指南』9-8

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

《<無礙解道>

Paṭisambhidāmagga)の教え》

Purimakammabhavasmiṁ 

moho avijjā、

āyūhanā saṅkhārā、

nikanti taṇha、

upagamanaṁ、

cetanā bhabo.

Ime pañca dhamma 

purimakammabhavasmiṁ idha 

paṭisandhiyā paccayā 

ーー過去世において、業を累積した時(業有、kamma bhava)、生起した所の痴は、無明である。

業を造(ナ)す事に尽力するのは、行である。

生命と所縁を、渇愛するのは、愛である。

生命と所縁に、執着するのは、取である。

善思(kusala cetanā)と不善思(akusala cetanā)は、有である。

過去世において、業を造(ナ)す時に、生起した所のこの五法は、今世の結生(paṭisandhi、人類にとっては、五蘊の結生)の、因である(《無礙解道》)。

《無礙解道》の中(+に述べられている内容)の意味は、過去世において業有(kamma bhava)を造(ナ)した時の、無明、愛と取に包まれた所の、その業は、今世の果報蘊の、真正なる原因である、という事である。

こうしたことから、禅修行者は、己自ら、徹底的に、苦諦(五蘊の結生など)が今世において生起する、その因は、過去世の業(集諦)である事を識知し、了解しなければならない。

唯一、この様である時にのみ、彼は己自ら徹底的に「集諦故に、苦集が生起する事」が了解されるのである。

 (9-9につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html

<本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版  中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>