Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『禅修指南』9-12

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

《神通と観禅》

(Abhiññā & Vipassanā) 

ある種の人々は、宿住随念智(pubbenivāsānussati abhiññā)でもって、過去世を知る事を受け入れるし、

また、天眼通(dibba cakkhu)の未来分智(anāgataṁsañāṇa)でもって、未来世を知る事を受け入れながら、しかし、観禅で、過去と未来の五蘊を、識知する事を厭う。

観智でもって過去と未来の五取蘊(pañcupādānakkhandhā)を識知する事に関する仏陀の教えと註釈は以下の通り:

Ye hi keci bhikkhave 

samaṇā vā brāhmaṇā 

vā anekavihitaṁ pubbenivāsaṁ

anussaramānā anussaranti、

sabbe te pañcupādānakkhandhe

anussaranti etesaṁ vā aññataraṁ.

Katame  pañca?

’Evaṁ rūpo ahosiṁ atimaddhāna’ti、

iti vā hi bhikkhave  

anussaramāno rūpaṁ yeva anussaranti・・・

Evaṁ vedana・・・

Evaṁ sañño・・・

Evaṁ saṅkhāro・・・

Evaṁ viññāṇo・・・

(Saṁyutta Nikāya、Khajjaniya Sutta)

Pubenivāsanti na idaṁ 

abhiññāvasena anussaraṇaṁ

sandhāya vuttaṁ、

vipassanāvasena pana pubbenivāsam

anussarante samaṇabrahmaṇe

sandhāyesaṁ vuttaṁ。

Tenavāha・・・’sabbe te paṇcupādānakkhande anussaranti、

etesaṁ vā aññatara’nti。

Abhiññāvasena hi samanussarantassa

khandhāpi udādānakkhandhāpi

khandhapaṭibaddhāpi paññattipi

ārammaṇam hoti yeva。

paṁ yeva anussaratīti evaṁ

hi anussaranto na aññaṁ 

kiñci sattaṁ vā puggalaṁ vā anussaranti、

atīte pana niruddhaṁ 

rūpakkhandhameva anussaranti。

Vedanādīsupi esevanayoti。(《相応註》) 

「比丘たちよ。

ある種の沙門と婆羅門(比丘を言う)は、智でもって、多くの過去世の諸蘊を思い出し、識知する事ができる。

これらの沙門及び婆羅門は、智でもって、過去世の五取蘊、またはその一部を、思い出す事ができる。」

上に述べたパーリ経文の中において、仏陀は「宿住」(pubbenivāsaṁ)という詞を使っている。宿住随念智(pubbenivāsānussati abhiññā)でもって、過去世の蘊を思い出した、と言っているのではない。

仏陀が「宿住」と言う時、その詞の意味は、あれら沙門と婆羅門は、観智の力でもって、過去の蘊を思い出す事ができる、と言っているのである。

故に、仏陀は以下の様に言う:

’・・・sabbe te pañcupādānakkhandhe anussaranti

etesaṁ vā aññataraṁ・・・’

その意味はすなわち、「・・・これら沙門及び婆羅門は、智でもって五取蘊を思い出す事ができる。彼らはまた、智でもって、この五者の内の一を、思い出すことができる。」

観智の力でもって(+思い出しているのだという事に)言及するのは、宿住随念通には、四種類の所縁が、あるからである:

1、出世間法を含む五蘊

2、出世間法を含まない五取蘊。

3、五蘊と関係のある族系、美、食物栄養、楽しさ、痛苦等。

4、各種の名称概念。

上に述べたパーリ経文の中において、智でもって、この四種類の所縁を識知する様に、とは言っていない。

仏陀は、智でもって、過去世の五取蘊、またはその内の一を、識知する様にと教示しているにすぎず、故に、仏陀は、観智でもって、過去蘊を識知する様にと言っている。

宿住随念通でもって、それらを識知する様にとは言っていない。

観智でもって、過去蘊を識知している時、「有情」とか「人」とかを、識知しているのではなく、ただ過去において、已に滅した所の、色、受、想、行と識を、識別しているのである。

上に述べたこれらは、宿住随念通と観智の間の違いに関してであり、(+禅修行者が)観智でもって、過去と未来を識知できる様にと、参考としての資料を、提供したものである。

(9-13につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html

<本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版  中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>