Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

般若の独り言~老後に2000万円

先日ニュースで、無職(専業主婦)の妻(60歳)と、退職した夫(65歳)が、95歳まで生きるとして、政府から給付されれる年金だけでは足りないので、それとは別に、2000万円の老後資金を用意した方がよいという、今後の経済動向的な調査内容が金融庁より発表され、炎上しています。

これは、典型的な夫婦が、都会で、質を落とさずに、典型的な、または理想的な生活を送る場合の、ひとつのモデルを示したものの様です。

私は、老後の生き方が、2000万円、余分に貯金しておくべきかどうかに焦点をあてて議論される事に、なんだか滑稽な様な、恥ずかしい様な、一抹の寂しさを感じました

(注1)。

武者小路実篤は《新しき村》運動を起しました。

それは、今はもう瓦解して存在しないと聞いていましたが、少し前のWEBニュースで、《新しき村》の理念のままに、今も何家族かが、その様に生活している、との事でした。

新しき村》では、長時間労働を戒めています。人間、一日 8時間どころか、6時間働けば充分、残りの時間は思索や、芸術活動に使いませんか?というのです。(思索や芸術活動を、座禅・瞑想に置きかえれば、僧侶の修行生活になります。)

私たちは、何の為に生まれたのか・・・年老いて振り返ってみた時、本当に成したかったことを成し遂げて、満足して死ぬ事が出来るでしょうか?

2000万円、あったら幸せなのでしょうか?

なかったら、不幸でしょうか?

お金(金額)で、自己規定するなんて、ちょっぴり心が、寂しくなりました。(もちろん、何をするにも、どこへ行くのも、先立つものはお金であるという現実は認めた上で。ただ、我々の意識も変わりつつあるとも思います。

自動車の自動運転を初めとして、世界がAI化し、ベーシック・インカムが実現した時、手持無沙汰になった我々は、何をすれば幸せか、何をしないのが幸せか、もう一度、心の底から、問われる事になりそうです。)

注1:タイやミャンマーですと、男女とも、老後は、どこのお寺で出家(在家のままお寺に住む場合も含めて)するかが、大きな関心事です。私の知人でバンコク在住の夫妻は、夫が最高裁判所長官、妻が証券取引所頭取でしたが、退職後、家は息子夫婦に明け渡し、今では、共にお寺の境内に住んでいます。

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>