Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」5-127

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

8.11.1 註解

ここにおいて、「楽と苦を捨離する事を通して」とは、身の楽と身の苦を捨棄する事を通して、という意味である。

悦と憂の消逝:先の心楽と心苦の、この二種類の消逝を通して;

その意味は、それらの捨離を通して、である。

これらを捨離する(+という現象)は、何時発生するのか?

第四禅の近行定刹那において、である。

というのも、悦(心の楽受)は、唯一、第四禅の近行定刹那においてのみ、捨離することができるが故に。そして、身苦、心憂と身楽は、それぞれ、各々、初禅、第二禅、第三禅の近行定刹那において、捨離される。

こうしたことから、それらが捨離される次第・順序には言及されていないものの、しかしここでは、「根分別」の中において、諸根の次第によって、身楽、悦と憂の捨離について言及されている事に基づいて、説明したものである。

しかし、もし、これらは、唯一、何種類かのジャーナの近行定刹那にしか捨離できないのであれば、なぜ、以下の経文は、それらの息滅は、ジャーナの時に発生するのだ、というのであろうか?;

「已に生起した苦根は、どこにおいて、無余に滅尽するか?

ここにおいて、比丘たちよ。

完全に欲楽から遠離し、完全に不善法から遠離し、比丘は初禅に入り、安住する時・・・寂静より生じる。

ここにおいて、已に生起した身苦は無余に滅尽する。

已に生起した憂根は、どこにおて、無余に滅尽するか?

・・・第二禅・・・已に生起した身楽根は、どこにおいて、無余に滅尽するか?

第三禅・・・已に生起した悦根は、どこにおいて、無余に滅尽するか?

楽と苦の捨離を通して、及び先の悦と憂の消逝を通して、比丘は無苦無楽、因捨心を具備し、完全に浄化された所の正念の第四禅に進入し、安住する。

ここにおいて、已に生起した悦根は無余に滅尽する。」

(《相応部》)

(5-128につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijyubunko.sakura.ne.jp/index.html

<中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>