Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 コメント欄はどなたも利用OKですが、リトリートに入っている時は回答致しません。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」6‐20(162/430)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

11 色業処の理論

11.1 観禅の修行における観照必須の方法

’Sabbaṁ bhikkhave anabhijānaṁ aparijānaṁ avirājayaṁ

appajahaṁ abhabbo dukkhakkhayāya ・・・ 

Sabbañca kho bhikkhave abhijānaṁ parijānaṁ

virājāṁ pajahaṁ bhabho dukkhakkhayāya.’

(Saḷāyatana Saṁyutta、Sabbavagga、Aparijānana Sutta)

「比丘たちよ。一切において、知解せず、通解せず、離欲せず、捨棄しない者は、苦を滅する事ができない・・・

比丘たちよ。一切において、知解し、通解し、離欲し、捨棄する者は、苦を善く滅することができる。」(相応部・六処相応・一切品・不通解經)

この經の註釈は、更に一歩進んでその内容をば「三遍知」であると解説する:

Iti imasmiṁ sutte tissopi pariññā kathitā honti.

’Abhijānan'ti hi vacanena ñātapariññā kathitā.

’Parijānan'ti vacena、tiraṇapariññā.

’virājayaṁ pajahan'ti dvīhi pahānapariññāti.

ーー「この經の中において、述べられているのは、三遍知である。『知解』とは、『所知遍知』(ñāta pariññā)の事をいい、『通解』とは『審察』(tīraṇa pariññā、作度遍知とも)の事をいい、『離欲』と『捨棄』の二者は、『断遍知』(pahāna pariññā)を言う。 ’  

こうしたことから、唯一、三遍知によって、徹底的に、一切の、五取蘊に属する所の名色法を了解した後初めて、我々は名色法への愛を断滅して、苦を滅することができる。

また《大疏鈔》では、以下の様に言う:

Thṅhi anāvasesato pariññeyyaṁ ekaṁsati virājitabbaṁ

ーー「先に、徹底的かつ少しの遺漏なく、観禅の目標となる所の、この五取蘊を、必ずや、識別しなければならない。」

その後、それは禅修行者に対して、以下の様に言う、名色への愛着を断ずるために、一切の名色法の無常・苦・無我の三相を観照する様に、と。

これらの經と論に教えに従えば、禅修行者は先に、五取蘊を構成する所の一切の名色法を、それぞれ個別に識別しなければならない。

個別に、一切の色法を識別する智慧は「色分別智」(rūpa pariccheda ñāṇa)という:

個別に、一切の名法を識別する智慧は「名分別智」(nāma pariccheda ñāṇa)という:

名法と色法の二者のそれぞれの組み合わせを識別する智慧は「名色分別智」(nāmarūpa pariccheda ñāṇa)という。

この三智は、また「色摂受智」(rūpa pariggaha ñāṇa)、

「非色摂受智」(arūpa pariggaha ñāṇa)、

「名色摂受智」(nāmarūpa pariggaha ñāṇa)ともいう。

この段階において、「人というものは無い、有情というものは無い、無我的な存在である、色法と名法があるのみである」という事を了解する智慧は「名色分別智」(nāmarūpa vavaṭṭhāna ñāṇa)と言う。

(6‐21につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等ほぼ原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijyubunko.sakura.ne.jp/index.html

<中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>