<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
一切の名色を識別する時、もし、禅修行者がいまだジャーナを証得していないのならば、ジャーナと関係のある名色法を(+識別する事を)省略してもよい。
もし、すでにジャーナを証得しているのであれば、彼はそれらを観照しなければならない。これは苦聖諦を観照する時の智慧である。
第二に、禅修行者は正確に、如実に、名色法の因を知見しなければならないが、この智慧は「縁摂受智」(paccaya pariggaha ñāṇa)と言う。
名色分別智と縁摂受智が、観禅の目標とした諸々の行法をはっきりと、明晰に、明確に知見することが出来る事から、この二智は「所知遍知」(ñāta pariññā)と言う。
第三に、観禅の段階において、すなわち「思惟智」(sammasana ñāṇa)から始まり、彼は一切の色法、名法及びそれらの因の無常・苦・無我の三相を徹底的に見なければならない。
諸々の観智の中において、「思惟智」と「生滅随観智」の作用とは、一切の名色法およびそれらの無常・苦・無我の三相を審察し識別する事にある。
この二智はまた「審察遍知」(tīraṇa pariññā)とも呼ばれる。
「壊滅随観智」(bhaṅga ñāṇa)から始まる観智は、一切の名色法及びそれらの因の壊滅と、それらの行法の無常・苦・無我の三相をのみ見るものである。
この時、断ずるべき煩悩が、観智によって、暫定的に断じ除かれる為、それらはまた「断遍知」(pahāna pariññā)とも呼ばれる。
四個の聖道智は、徹底的に、心を覆う無明(avijjā)または痴(moha)を根こそぎ断じ除く。
聖道を証悟した者は、、一切の名色は苦諦であり、名色の因は集諦であり、また、苦諦と集諦の無常・苦・無我の三相を了知することができる。
聖道は、諸々の行法を無常・苦・無我の作用を円満に遍知、審察することができるため、「所知遍知」と「審察遍知」と呼ばれる;
というのも、心を覆って、四聖諦を了知することをできなくしてしまう煩悩を、徹底的に断じ除くことができるが故に、これを「断遍知」と呼ぶ。
禅修行者は、五取蘊を構成する所の一切の名色法を徹底的に知るための智慧を証得するために、三遍知を育成することに尽力しなければならない。
その為には、禅修行者は先に、一切の名色法を知り、学習し、記憶しなければならない。
(6-22につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等ほぼ原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html
<中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>