Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

般若の独り言~カピヤとお布施に関する誤解

少し前の事(今年3月末頃)ですが、カピヤ(とお布施)に関する誤解をされている方がいて、少々驚きました。経緯は以下の通り(会話は電話にて)。

私:

「本雅難陀尊者から、来年の春、日本に弘法に行ってもよい、とお言葉を頂きました」「台湾のリトリートが終わったその足で、台北から福岡入りされる予定ですが、台湾から、カピヤ(S氏)が随行してくれるそうです。尊者のお世話を彼に任せることができるので、私たち(=尊者招請準備団体~当時)は、雑用が減って、大変助かりますね」

準備団体世話役(当時)Z氏:

「台湾からカピヤが付いてくるのですか?

彼、我々に、お布施を持ってきますよね?」

私:

「えっ?彼、お布施、持って来ませんよ。

彼は尊者のお世話をする為に、自費で日本に来てくれるのです。そういう役割の人間が、我々招請団体に、お布施をする理由がないです」

Z氏:

「彼は尊者の説法を聞きたくて、日本に来るのではないですか?それなら、我々招請団体に対して、お布施を持ってくるべきです」

私:

「彼は説法を聞きたくて、尊者に随行して来るわけではありません。尊者のお世話をする為に、志願して(自費で)来てくれるのです」

「その様な役目の人に対して、お布施を持ってこなければならない、持ってくるはずだ、という願望は行きすぎだと思いますが・・・、どうしてそう思うのか、一度ゆっくり話し合いませんか?」

Z氏:

「・・・」

 

ここに、二種類の誤解があります。

カピヤとは、出家比丘(Sayalayも含む)の日常生活のお世話をする役割を担った、在家のボランティアです。

タイや緬甸のお寺では、カピヤが寺院内に住み込んで、日常的に、出家者のお手伝いをする事もありますし(一緒に托鉢に出かける、金品のお布施があった時比丘の代わりに受け取る、比丘の買い物の代行等)、臨時で(土日だけとか)カピヤになる人もいます。

彼らは、寺院内に住み込んでいる場合は、上下とも、白い服を着ている事が多く、中国語では、白衣浄人と呼ばれることもあります。

カピヤが比丘に随行して外国に来る場合、比丘のお世話係りとして来るのですが、随行に必要な経費は、基本、自費、または僧院側の負担です。

その方々が、日本に随行して来て、(ついでに?)尊者の法話を聞いたからと言って、日本の仏教組織・団体に、

お布施をせねばならない、という義務はありません。

そもそもお布施とは、仏陀の説いたダンマに信を得た人間が、正法久住を願って、サンガまたは出家者個人に金品、食物、雑貨、労働力などを提供する事をいいますが、お布施そのものは、誰にとっても、決して義務ではありません。

私は 1999年からこのかた 20年間、テーラワーダ系の中国語の仏教書を日本語に翻訳して、WEBで公開して来ましたが、それは私からの、日本のテーラワーダ仏教徒の方々への法施であり、それは完全に、無償で行われました。

法は無償で説かれ、法を聞く者もまた、無償で受け取ることができます。

<仏法無価>といい、仏陀の説いた法は、偉大なあまり、値段のつけられないもの、売買することができないもの、という大前提に立てば、

「尊者のお世話の為に日本に随行して来て、尊者の説法を聞く機会を得るカピヤは、我々招請団体にお布施すべし」

という発想は、少々問題である事を、お分かり頂けるかと思います。

2600年の間、世に、アビダンマ仏法の伝承を続ける事が出来たのは、偏に、先人の無償の貢献があった為だと、肝に銘じたいと思います。

 (尚、3月当時、来日随行を志願されていたカピヤのS氏は、都合により、7月末に、C氏に変更になりました。またZ氏は、7月に発足しました、本雅難陀尊者招請団体、有志の会の構成員ではありません。念のため。)

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>