<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
12.4.12 精進(viriya)
精進とは、奮闘の境または行為をいう。
その特徴は支持、奮闘と駆動;
作用は支持または安定した相応の名法;
現起(現象)は後戻りしない事;
「激励を受けて、彼は明智的に奮闘する」ため、その近因は、恐怖感または界に尽力するかまたは精進するかであって、すなわち、精進を惹起できる所のすべての事柄。
ちょうど、古い家屋に、新しい柱を何本か加えて、それが倒壊しない様にする様に、または後方部隊の軍隊が、国王の軍隊を助けて敵を倒すが如くに、精進は、すべての相応の法を支持し、それが減退しない様に、することができる。
正確は進展の下、一切の成就の根本である。
12.4.13 喜(pīti)
それは、心と相応する所の心所を清くさわやかにし、喜悦し、満足せしめ、精神は渙発するが故に、それは喜である。
諸々の禅支を説明するときにすでに言及したが、その特徴は「喜びまたは満足」(sampiyāyana)である;
作用は、身と心を清くさわやかにして、または喜悦を遍満させる;
現起(現象)は喜悦;
近因は目標または名色。
註釈では、その近因に言及していないが、我々は、近因は目標または名色である、と言う。
12.4.14 欲(chanda)
ここでいう「欲」は、行動への欲(kattu-kāmatā)である。すなわち、有る事柄を実行したい、またはある種の成就を得んとする事である。
この「欲」(chanda)と、不善に属する貪(lobha)または貪欲(rāga)とは、その精進(+の性質に基づいて)区別しなければならない。
諸々の經の中において、「欲」(chanda)は、貪(lobha)または貪欲(rāga)と同じ意味に用いられていて、故に、不善の含意を擁している。しかし、諸々の(+他の)經において、「欲」は善心所が潜在している、すなわち、正精進であると言う。それは、それらが不善法を断じ除きたいと欲し、善法を得たい欲する時を言うのである。
貪または貪欲に相応する欲は、絶対に不善である;
しかし、それが善心所と組み合わさった時、善量な目的を追求する所の善欲となることができる。
欲の特徴は、行動を欲する(善業または悪業を造(ナ)す);
作用は、目標を探す事;
現起(現象)は目標を必要とする事;
近因は目標の希求。
心の手が目標に向かう事と見做すことができる。
12.4.15 信(saddhā)
信の特徴は、信心(=確信)のある事。
作用は清らか、清水宝石が混濁した水を清らかに変えることができるが如く;
または啓発、洪水の流れを渡が如くである。
現起(現象)は迷妄でない事、心の不浄を取り除く事、または猶予しないと決意する事。
近因は八種類の、信じるべき事柄、または正法の聴聞及びソータパナ支。
12.4.15.1 八種類の信じるべき事柄
1、仏
2、法
3、僧(=サンガ)
4、(戒・定・慧)三学
5、過去蘊
6、未来蘊
7、過去と未来蘊
8、縁起
(6-42につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等ほぼ原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijyubunko.sakura.ne.jp/index.html
<中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>