Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」6-43(207/430)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

12.4.20 無瞋(adosa)

無瞋の特徴は、粗野でない事または対抗しない事;

作用は怨恨の除去または怒りの火の除去、タルカンパウダーによって身体の熱を去るが如く;

現起(現象)は、喜ばしい、愛すべき;

(近因は目標への如理作意。)

無瞋は慈愛、温和、協調、友愛などの良好な品徳を含む。

12.4.20.1 慈(nettā)

無瞋が慈愛または慈梵住(mettā)として顕現する時、その特徴は、有情の幸福の促進;

作用は、他人の幸福の祈願;

現起(現象)は瞋恚と怨恨の除去;

近因は有情を喜ばしい、愛すべき存在と見做す事。

慈愛と、それに近い敵の区別を知らねばならない、それはすなわち、利己的な愛である。

安般ジャーナ法の無瞋は、粗野でない事であるが、慈愛ではない。同様に、もし、無瞋が究極名法または色法を目標に取る時、それは粗野ではない、ということになる。

12.4.21 中捨性(tatramajjhattatā)

この心所の、パーリ語の直訳は「中間地点に位置する」である。

これは捨心と同じ意味の言葉であるが、捨受とは異なり、心の平静、無執着と平等なる態度を言う。

それは、それと相応して生起する所の心と心所を中捨に保持し、それらをバランスを保ちながら運用せしめる。

中捨性の特徴は、バランスを保ちながら、相応する心と心所を帯動することである;

作用は、過多または不足の防止、または偏向の除去;

現起(現象)は中立。

心と心所を中捨性でもって傍観する時、良馬が安定して前進するのを中捨的に傍観する御者の様である。

有情に対して、中捨性を保持する捨無量心は中捨心所である。

それは差別や偏向を持たずして、一切の有情に対して、平等に対応する。

この捨と、その近い敵である所の「無明によって生じた所の世俗捨(分別を知らない捨)」と混同してはならない。

捨無量心(捨梵住)の特徴は、諸々の有情に対して中捨的に対応する事;

作用は諸々の有情を平等に見做す事;

現起(現象)は、憎悪と好み(=偏愛)を断じ除く事;

近因は、業の擁有性を知見する事。

擁有性とは:「衆生は己自身の業の主人である。それを通して、彼らは楽しみを獲得し、または苦痛から逃れ、または到達した成就を失うことがない。」

憎悪や好み(=偏愛)を断じ除く時、それ(=中捨)は成功し、無知の捨であるときは失敗する;

無知の捨とは、世俗の生活の中において、無明によって生起する世俗捨(分別、区別を知らない)である。

(6-44につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等ほぼ原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html

<中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>