Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」10‐8(301/430)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

1、回答一

「ここにおいて、学生よ。

男性または女性が衆生を殺害し、性情が凶暴で、両の手は血まみれで、殴打や暴力に従事し、衆生に対して残酷である(+とする)。

この様に行為を履行し、かつ従事するが故に、身体が壊れ、命が尽きるとき、彼は苦界、悪趣、堕処、地獄に生まれ変わる。

しかしながら、もし、身体が壊れ、命が尽きるときに、苦界、悪趣、堕処、地獄に生まれ変わらないで、人間として生まれたならば、その時、どこに生まれたとしても、彼は短命になる。

学生よ。

これが短命を引き起す道であり、すなわち、衆生を殺し、性情が凶暴で、両の手が血塗られていて、殴打と暴力に従事し、衆生に残酷(+な者の行く道である)。」

人間に生まれ変わるのは、善の果報であり、四悪趣に生まれ変わるのは悪業の果報である。

もし、殺生の業が、直接に、生まれ変わりの方式を決定するならば、それは四悪道の内の一に、生まれ変わることを、生じせしめる。

しかし、善業が熟して、人間として生まれ変わったならば、その殺生の業は、生まれ変わりの為の業と相反する作用を齎して、種々の災難を引き起すが、最も重い時は、早期の死亡を齎すことがある。

また、善業が彼を人間に生まれ変わらせたとしても、しかし、殺業が原因で、その善業は彼を長寿にすることができず、ために、彼は短命になってしまう。

同様の原則でもって、以下において言及する所の、不善業が人界(=人間界)において熟する例にも適用される:

一つひとつの例において、不善業は、それ自体の特徴と相付合する所の、災難を引き起すことによって、人界に生まれ変わることのできた善業を、妨害するのである(+ことが語られる)。

私は、モッガラーナ尊者の物語を語りたいと思う:

彼は、ある一生において、かつて妻の扇動によって、己自身の父母を殺害することを計画した。

彼の父母は両目を失明していた。

彼の妻は彼らの世話をするのが嫌で、故に、彼らに関する、多くの偽の物語をねつ造した。

妻による、それらの誣告によって、彼は父母を殺そうと思った。

ある日、彼は父母を連れて牛車に乗り、森林を通って、もう一つ別の村に行こうとした。

森林まで来て、彼はある場所で止まった。

彼は強盗を装って、父母を強く殴打したが、しかし、父母は死ぬことはなかった。

その事件の中において、彼はどれほどの不善業を累積したであろうか?

多くの、まさに多くの不善業であった。

もし、彼が、父母を五分間殴打したのであれば、彼は、万億と数える不善業を造(ナ)したのである。

彼の動機は、彼らを殺害したかったのであり、それは大きな罪であり、極めて悪い不善業である。

しかし、事情を知らない父母が、慈悲の心を彼の名を呼んで、彼らに構わず、彼に逃げる様に言ったため、彼は父母の愛情に深く感動して、残酷な行為を途中で止めたのである。

彼の心内には悔恨が満ちた。

ここにおいて、彼が父母を殴打する以前、どの様にして彼らを殺そうかと考えた時、すでに多くの不善なる念頭(=考え)を累積している;

殴打の後、己自身の親不孝の悪行を思い出す度に、心内には、悔恨と悲しさが充満するが、これらは不善法である。

これらの悪業が熟した時、それは極めて厳重な悪報を齎すのである。

彼のあの一世において身体が壊滅し、命終わる時、七番目の速行心の不善思が、彼をして地獄に生まれ変わらしめ、彼は、激烈な痛苦に遭遇した。

二番目から五番目の速行心の不善思は、更に後の世において、地獄に生まれる原因になった。

この様にして、彼は地獄において、極めて痛苦な時間を、数百万年も数えることとなった。

またべつの方面では、彼はゴータマ仏の二番目の上席弟子となる波羅蜜(pāramī)を累積した;

最上見仏(Buddha Anomadassī)の時代から数え始めて、彼はこの様に波羅蜜を累積するのに、一阿僧祇と十万大劫の長きであった。

これら波羅蜜は、善業である。

一つひとつの善業によって、人界に生まれ変わった後、過去世において父母を殺害しようと計画した悪業は、種々の災害となって表面化し、彼の早期の死亡を齎したのである。

あの悪業によって、200世以上の(+生命の内に)、頭蓋骨を打ち砕かれて死亡している。

彼の波羅蜜が熟して、我々の仏陀の、二番目の上席弟子になれたこの一世において、彼は一人の阿羅漢であったにも関わらず、彼は依然として、あの悪業に縁でもって、頭がい骨を打ち砕かれて後、般涅槃したのである。あの業とは破壊業であった。

彼が阿羅漢果を証得した時、彼の心は煩悩を断じ除いた為に清浄であったが、しかし、過去世の悪業の果報を免ずることができず、苦を受けた。

故に仏陀は言う:

「故に、比丘たちよ。

常に、己自身の心をこの様に反省しなければならない:

『長い間、この心は、常に貪、瞋、痴によって汚染されてきた。』

比丘たちよ。

衆生は心の煩悩によって汚染される;

衆生は心の清浄を通して浄化される。」

次に、仏陀の二番目の回答を聞いて頂きたい。

(10-9につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等ほぼ原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html

<中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>