Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」10-11(307/430)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

回答四

「しかしながら、学生よ。

男性または女性が、手、土くれ、こん棒または刃物でもって衆生を傷つけない時、この種の行為を履行し、従事するが故に、身体が壊滅して、命尽きた後、彼は楽趣、ないし天界に生まれ変わる。

しかしながら、もし、身体が壊滅し、命尽きた後、彼が天界に生まれ変わらず、人間に生まれ変わったならば、どこに生まれ様とも、彼はいつも健康である。

学生よ。

これが、健康に到る道である、すなわち、手、土くれ、こん棒または刃物でもって衆生を傷害しない(+のが健康への道である)。」

この様な状況の下、衆生を傷害しないという善業は、直接、天界に生まれ変わる、または人界に生まれて、健康でいられる、という状況を生じせしめる。

また、この人が、その他の善業、たとえば、布施、止禅と観禅の修行等を造(ナ)しているならば、これらの善業もまた、当該の、衆生を傷害しないという清浄なる戒行によって、天界に生まれ変わるか、または人界に生まれて健康でいられるという果報を生じることができる。

故に、仏陀は以下の様に言う:

’Ijjhati bhikkhave sīlavato cetopanidhi visuddhatta’ーー

「戒行が良好な者の願望は、その清浄なる戒行によって、円満に達成することができる。」

両家尊者(Ven. Bākula)は、この一つの良い例である:

阿僧祇と十万大劫の前、最上見仏(Buddha Anomadassī)がいまだ世間に出現していない頃、彼は一人の博学な婆羅門であった。

後に、彼は出家して隠士になり、来世の安楽を願った。

彼は、森林の中に住んで、禅定の修行をし、八種類の禅定と、五種類の世間的神通を成就した。

彼は貴重な時間を禅定の楽しみを楽しむために使った。

最上見仏が世間に出現した後、ある時、彼は仏の説法を聞く機縁を得、結果三宝に帰依し、仏教徒になった。

仏陀が胃が痛んだ時、彼は薬品を供養して、仏陀の病を治した。

この種の善業は非常に殊勝であり、円満なる果報を生じることができる。

まさに仏陀が《中部・布施分別經》(Majjhima Nikāya Dakkhina-Vibhaṅga Sutta)の中において述べるが如くである:

「ある一人の徳行のある人が、浄らかな信心でもって、業に大果報があることを深く信じて、如法に得た物品を、もう一人別の徳行のある人に布施するならば、私は言う、その様な布施は円満なる果報を齎すのだ、と。」

このことから、あの隠士は徳行の有る人である(+ことが分かる):

彼の徳行は、八定と五神通を伴っている。また、彼はすでに三宝に帰依しており、彼の徳行は非常に清浄であるが故に、己自身の願望を実現することができたのである。

また、受取人は仏陀ーー世界中で、徳行が最も高い人ーーであった;

供養した薬品は、正当な方式でもって森林の中から得たものである;

彼は供養する前、供養する時、供養した後とも、みな、清浄なる信心(=仏法への確信)に満ちていた;

彼は、業が大きな果報を生じることに対して、堅固な信心(=確信)を持っていた;

というのも、彼は天眼通でもって、業果の作用を見ることができたが故に。

これらの要素によって、彼の供養は非常に殊勝なものとなり、円満なる果報生じることができたのである。

ある日、仏陀の病が治って、身体が健康になった時、彼は仏陀に会いに来て、以下の様に発願した:

「世尊、如来は、私の薬によって、身体が回復しました。この善業によって、私は、生生世世(=何度生まれ変わっても)疾病のない様に、たとえ幾秒かでも身体に不快がない様にして下さい。」

彼の善業と願望によって、彼はその後の一生において、病気になったことがないし、たとえ幾秒間であっても、身体が不快になったことがない。

故に仏陀は言う:

「戒行の良好な者の願望は、その清浄なる戒行によって円満に達成される。」

我々が布施を実践する時、この様な模範に見習うべきである。

両家尊者が、最上見仏の時代に、種々の波羅蜜を累積して、十万年の長きに亘った。

身体が壊滅して、命尽きた後、禅定の力によって、彼は梵天界に生まれたが、これは善の重業である。

数えきれない大劫の中において、彼は、ある時には天界に生まれ変わり、ある時には人界に生まれ変わった。

このすべての段階において、彼は一度も病気をしたことがないし、また悪道の苦しみに遭うこともなかった。

勝蓮華仏(padumuttara Buddha)の時代、彼は漢紗瓦帝城(Hamsāvatī)の在家居士であった。

彼は、仏陀が、ある一人の比丘に対して、健康第一の弟子であると宣言するのを聞いて、彼もまた多くの善業を積み重ねて、たとえば、種々の資具を仏陀と僧団(=サンガ)に供養し、そのことによって、未来仏の教化の時代に、同様の栄誉を得たいものだと思った。

彼は勝蓮華仏から、将来、健康第一の比丘になる、という授記を得た。

彼は十万年の生命の中において、善業、たとえば、布施、止禅と観禅の修行などを積み重ね、行捨智の段階まで到達したのである。

毘婆尸仏(Vipassī Buddha)が世間に出現する前、彼は曼都瓦帝城(Bandhumatī)に生まれた。

後に出家して隠士になった。

毘婆尸仏に出会った後、彼は仏陀を師とした。

彼は、有毒の花の香を嗅いで病気になった、多くの比丘の病を治した。

彼は神通によって、森林の中において、各種の薬材を採集し、それらを病気の比丘に供養した。

彼は仏陀に対して充分な信心(=信頼の心)があり、時間があれば、仏陀に会いに行き、聞法したが、それでもなお、彼は隠士の生活を送り、仏陀の教える方法によって、森林の中で、止禅と観禅の修行を実践した。

その一生の中において、彼は比丘の病気を治そうとする善思は、非常に強い善業であり、彼を生生世世健康であらしめた。

身体が壊滅して、命終わった後、彼は禅定の業によって、梵天界に生まれ変わったが、これは善の重業である。

約91大劫の中において、彼は天界と人界の間を流転して、迦葉仏(Kassapa Buddha)の時代に、彼は改めて、古の医術を整理したが、この善業は、彼に、健康と長寿を齎すこととなった。

 

(10-12につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等ほぼ原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html

<中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>