<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
当時の難陀の戒行は清浄で、それは輝く宝玉の様にであり、また、八定と五神通が伴っていた;
供養する前、供養の時、供養の後、彼は常に仏法僧の三宝に対して、清らかな信心(=信頼の心)があった;
彼は業には大果報があると深く信じていた、というのも、彼は天眼通でもって明晰に、業果の作用を了知していたが故に;
布施を受け取る者は、世間無上の福田であり、また、彼はもっともよい時期に、彼らに布施を行った;
故に、彼の願望は、必ずや布施者と布施を受ける者の双方の清浄によって円満に達成することができる。
彼は発願した後、勝蓮華仏の授記を得ることができた;
彼はゴータマ仏の時代において、慈心ジャーナ第一、供養を受け取る(+資格)第一の比丘となったのである。
彼は隠士としての身分を変更することはなかったが、しかし、常に仏に会いに行き、聞法をした。
彼は仏陀の教法に基づいて、止禅と観禅の修行をし、特に慈心慈心を重視し、慈心ジャーナを基礎として、観禅の修行を実践して、行捨智の段階まで到達した。
ここにおいて、私は「縁起」について、些かの解説を加えたいと思う第;
彼が果物と花を、滅尽定から出定したばかりの仏陀とサンガに供養した後、彼は、慈心ジャーナ第一と、供養受け取り第一の比丘になりたと発願した。
仏陀の教導に基づくと、我々の身・心は、究極名色法によって構成されている。
もし、我々がそれらは究極名色法であると了知しているならば、それは正確で、観智であり、正見である;
しかし、もし、我々がそれらを男性、女性、比丘、比丘尼と見做すならば、それは錯誤である。この様な錯誤を無明と呼ぶ。
故に、彼があの様な状況の下において、一塊の究極名色法をば、慈心ジャーナ第一と供養受け取り第一の比丘と見做したのは、まさに「無明」なのである;
この無明によって、彼は慈心ジャーナ第一、供養受け取り第一の比丘になりたいと発願した、これは「愛」である;
彼はその様な比丘の生命に執着したが、これは「取」である;
無明、愛、取を「煩悩輪転」(kilesavaṭṭa)と言うが、その意味はすなわち、生死輪廻を造り出す煩悩である、ということである。
無明、愛、取によって、彼は果物と花を無上の福田ーー仏陀とサンガーーに供養したが、これらの善業は行と言う。
それらは無常であり、生起するや否や、即刻壊滅するが、しかし、それらは、彼の名色相続流の中において、業力を残留させる;
《発趣論》(Paṭṭhāna)の業縁の部分において、業力は業と呼ばれている。
行と業は「業輪転」(kammavaṭṭa)と呼ぶが、その意味はすなわち、生死輪廻を造り出す業のことである。
以上、合計五種類の過去因がある:
無明(avijjā)、愛(taṇhā)、取(upādāna)、行(saṅkhāra)及び業(kamma)である。
同様の原理は、すべての業力が熟して、果報を結成する状況において、適用することができる。
(10-16につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等ほぼ原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html
<中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>