Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」10-17(315/430)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

回答七

「ここにおいて、学生よ。

男性または女性がいて心の中に嫉妬(+心)を抱え、他人が獲得した供養、名誉、重視、礼拝、尊敬などに嫉妬を感じ、憤慨し、嫉妬の心を、心に満たしている。

この様な行為を履行し、従事するが故に、身体が壊滅した後、彼は苦界、悪趣、堕処、地獄に生まれ変わる。

しかしながら、もし、身体が壊滅し、命終わる時に、苦界、悪趣、堕処、地獄に生まれ変わらないで、人に生まれ変わるとしたならば、その場合、どこに生まれ様とも、彼は何の影響力も持っていない。

学生よ。

これが、影響力の無い(+状態に)到る道である。

すなわち、心に嫉妬を抱え、他人が獲得した供養、名誉、重視、礼拝、尊敬などに嫉妬し、憤慨し、嫉妬の心を心に満たしている(+人の行く道である。)」

この種の嫉妬の性格は、社会生活において多くの問題を引き起こす。

嫉妬心によって征服された男性または女性は、仏法に基づいて教導された正常な行いを表現することができない;

彼らは常に、お互いに虐め合い、破壊し合い、弱者を虐め、破壊する。

ここにおいて、私は羅沙迦提尊者(Losaka Tissa Thera)の物語を語りたいと思う;

迦葉仏の時代に、一人の比丘がいて、その地域の一人の符合の護持を受けていた。

ある日、一人の阿羅漢がこの富豪の供養した寺院に入ってきた。

富豪は、この阿羅漢の威儀を非常に好んで、彼に(+色々)供養したいと思い、彼に寺院に留まってもらう様頼んだ。

阿羅漢は、留まってもよい、と返事をした;

元々ここに住んでいたあの比丘は、彼に対して嫉妬の心を起し、そのため、彼は施主に対して、新しくきた比丘は、怠け者であり、何もしないおだ、と言った。

彼は施主が阿羅漢に渡してほしいと頼んだ阿羅漢の食べ物を火の中にい入れて燃やしたが、これは彼の嫉妬心から来る不善業であった。

あの阿羅漢は彼の心念(=想い)を知っていたので、そこを離れ様としt、神通力でもって天空を飛んだ。

この比丘は、阿羅漢が去ったのを知って、心中に悔恨が生じた。

彼の善業は、優先的に果報を生じることができず、死後、地獄に生まれた。

地獄の苦しみを受け終わって、彼は夜叉に生まれ変わったが、いつもいつも、充分に、満足に食べることができなかった。

その後の500世は、いつも犬に生まれ変わり、一回の世毎に、多くの悪業の果報を受けて、常に空腹であり、満腹することがなかった。

我々の仏陀の時代、彼はコーサンビーの一人の漁師の息子として生まれ、名を羅沙迦(losaka)と言った。

彼らの村の中には、一千戸の家があった。

羅沙迦が生まれたその日、その一千戸の家家は、食べ物がなく飢えて、まその上、種々の災難に見舞われた。

その為に、彼らは羅沙迦の一家を追放した。

羅沙迦が歩けるほどに成長した時、彼の母親は、彼に陶器の破片を一つ渡して、乞食をする様に言って、家を追い出した。

彼は四方に放浪し、誰も面倒を見る人もなく、烏の様に、道に落ちているご飯を拾って食べた。

彼が七歳の時、シャーリプトラ尊者が彼に出会い、彼を不憫に思い、剃髪得度してあげた。が、しかし、彼の運気はなおみじめなものであった;

毎回托鉢に行く時、得られる食べ物は非常に少なく、整った一食を食したことがない。

彼が相当の程度の修行レベルまで来たとき、阿羅漢果を証得した。

なぜ、阿羅漢果を証得することができたのか?

というのも、彼は迦葉仏の教化の時代に、彼が阿羅漢果を証することできるに充分は波羅蜜を二万年の長きに積んだが故に。

彼は阿羅漢果を証得したものの、しかし、充分な食べ物を得ることが出来なかった。

毎回、施主が食べ物を彼の鉢の中に入れてあげるものの、食べ物は即刻、消失してしまうのである。

その原因は、過去世において、彼が施主が、阿羅漢に供養する様、彼に頼んだ食べ物を火の中に投げ込んだ上に、彼は他人が獲得した供養、名誉、重視、礼拝、尊敬などに対して嫉妬し、憤慨し、嫉妬心で心が一杯になったからである。

彼がもうすぐ般涅槃するという時になって、シャーリプトラ尊者は、彼は一度だけでもしっかりした食事をするべきだと思い、羅沙迦と共に、舎衛城に托鉢に行ったが、しかし、彼らに注目する人は一人もいなかった。

その為、彼は羅沙迦を寺院に連れて帰り、己一人だけで、托鉢に行き、人に頼んで、食べ物を羅沙迦に届けてもらった。

しかし、依頼されたその人は、食べ物を全部、自分で食べてしまった。

シャーリプトラ尊者がこの事を知った時、時はすでに午後になっていた。

そのため、彼は国王の宮殿に行って、はちみつ、ギー、バターと砂糖の混合物である甜品(catumadhura)を一碗貰い受けて、羅沙迦のために持って帰った。

甜品が消失しない様に、彼は自分で碗を持ち、羅沙迦に、碗の中の甜品を食べさせた。

その日の夜、羅沙迦提舎尊者は般涅槃した。

人々は彼の舎利の上に一座の塔を建てて彼を記念した。

こうしたことから、仏陀は《皮帯束縛經》の中において、以下の様に開示して言う:

「故に、比丘たちよ。

常に斯くの如くに己自身の心を反省するべきである:

『長い間、この心は常に貪、瞋、痴によって汚染されている。』

比丘たちよ。

衆生は心の煩悩によって汚染される;

衆生は心の清浄を通して浄化される。」

次に八個目の回答を聞いて頂きたい:

「ここにおいて、学生よ。

男性または女性がいて心の中に嫉妬(+心)を抱えず、他人が獲得した供養、名誉、重視、礼拝、尊敬などに嫉妬を感じにで、憤慨しない、嫉妬しない心を持っている。

この様な行為を履行し、従事するが故に、身体が壊滅した後、彼は楽趣、ないしは天界に生まれ変わる。

しかしながら、もし、身体が壊滅し、命終わる時に、天界に生まれ変わらないで、人に生まれ変わるとしたならば、その場合、どこに生まれ様とも、彼は影響力も持つ。

学生よ。

これが、影響力の無い(+状態に)到る道である。

すなわち、心に嫉妬を抱えず、他人が獲得した供養、名誉、重視、礼拝、尊敬などに嫉妬せず、憤慨せず、嫉妬を心を満たしていない(+人の行く道である。)」

(10-18につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等ほぼ原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html

<中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

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