Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」10-26(334/430)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

旃普迦尊者(Jambuka Thera)

迦葉仏の時代、旃普迦は一人の比丘であり、ある在家の施主に護持されていた。

ある日、一人の阿羅漢比丘が彼の寺院にやってきた。

在家施主は、非常に喜び、特別に慇懃にこの阿羅漢比丘の世話をした;

彼は豊かな飲食と袈裟を布施し、理髪師を呼んで剃髪してもらい、かつ、ベッドを一張、睡眠用に提供した。

元々ここに住んでいたあの比丘(後の旃普迦)は、施主が、客比丘をこの様に慇懃に対応するのを見て、心内に大きな嫉妬を生じた。

彼は己自身の心をコントロールすることが出来ず、嫉妬によって征服されてしまった。

彼は、ありとあらゆる方法でもって、施主が客比丘に対して、最悪の印象を持つ様にせしめた。

彼はあまるさえ、客比丘を侮辱して以下の様に言った:

1、あなたは穢い物を食べればよい、この家の施主の食べ物を食べるな。2、あなたは、扇椰子の葉で出来た櫛で頭を整えればよい、彼の理髪師を呼ぶ必要はない。

3、あなたは裸体でよい、彼が供養した袈裟を着てはいけない。

4、あなたは地面に寝るのがよい、彼が供養したベッドに寝てはいけない。

己自身の嫉妬心を克服できないが故に、ちょうどその時、彼は醜悪な人物像を(+己自身でもって)描いているのである。

あの客比丘は彼が自身が原因で、引き続き罪を造(ナ)すのを避けるために、二日目にそこを離れた。

この不善業のために、旃普迦は2万年修行したものの、しかし、成果を得ることはなかった。

死後、彼は阿鼻地獄(Avīci)に生まれて、二尊の仏の間の期間、熱さに苛まれた。

また、彼の最後の一生も同じことであって、多くの年月、彼は人から譴責された。

 彼は迦葉仏の時代に善業を累積していたので、彼は王舎城の裕福な人の家に生まれた。

しかし、上に述べた様な不善業の為に、嬰児の時から始まって、彼はただ糞便をのみ食べ、他の物は一切、食べなかった;

彼はいつも、生まれたばかりの赤子の様に、裸であった、衣服があっても、着続けることができないのである;

彼は地面の上に寝て、ベッドに寝ることはなかった;

長じて、彼は邪命外道(Ājīvaka)に従って出家した。

あれら邪命外道は、扇椰子の櫛で、頭髪を引き抜いた。

邪命外道が、彼が糞便等の汚物を食べるのを発見して、彼を追い出した。

彼は裸体外道として、一人で暮らし、各種の苦行を修行した。

彼は、草の葉の先端に少しばかりのバターか、はちみつをつけたものを舌の上に乗せる振りをする以外、その他の如何なる供養も受け取らなかった。

実際、彼は夜にこっそり糞便を食べていたが、この様ではあっても、彼の苦行の名声は四方に轟いたのである。

彼が55歳の時、仏陀は、彼の過去世の善業が果報を結成せんとしている事を知って、彼の住居を訪問し、彼の住居の近くの洞穴に住んだ。

その日、旃普迦は、威厳赫赫の天神が、仏陀に礼拝しに来たのを見徹底的、内心に深く敬服を覚え、故に、次の朝仏陀に教えを乞いに来た。

仏陀は、彼に、今の世に、これほど長期的に苦行しなかればならなかったのは、過去世の悪業が原因である事を告げ、また、彼に誤った行為を放棄する様に言った。

仏陀が開示した時、旃普迦は、己の裸体に恥じ入ったので、仏陀は、一枚のタオルを渡し、身体を覆う様に言った。

仏陀の開示を聞き終わると、旃普迦は阿羅漢果を証得した。

鴛伽(Aṅga)と摩竭陀(Magadha)の住民が、供養の品を持って彼に会いに来たとき、彼は神通を顕現し、仏陀に礼拝して、仏陀は己の老師(=指導者)であると宣言した。

この様に、業が衆生の高下を齎すのである。

次に、旃闍摩那祇が描いた絵を見て頂きたい。

旃闍摩那祇(Ciñca-māṇavikā)

旃闍摩那祇は、ある教派旃の外道女(paribbājika)であった。

彼女は非常に美しく、その美しさは、人の心を動かす程であった。

この一派の異教徒が、仏陀の信者が益々増えて、彼らの供養の品が減って行くのを発見した時、彼らは、旃闍摩那祇に、仏陀の名誉を破壊する陰謀に手助けしてくれる様に頼み、彼女に、祇園精舎仏陀を礼拝する為に訊ねる振りをする様に依頼した。

彼女は、わざと、夕方、祇園精舎に行く様子を人々の目に着く様にし、夜は、祇園精舎の近くの、その派の異教徒の持ち場で夜を過ごし、次の朝、早朝、彼女が祇園精舎の方向から、(+自宅へ)向かう様に見える様にした。

人々が彼女に尋ねると、彼女は、仏陀と夜を共にしたのだと答えた。

何か月の後、彼女は一個の木製の円盤を腹部に括り付けて、懐妊したかの様に偽装し、仏陀の面前に来た。

仏陀がまさに多くの人々に開示をしている時、彼女は、仏陀を指さして、無責任であり、また、情義を顧みず、彼女の出産のために、何等の準備もしな、と責めた。

 

仏陀は黙して語らなかったが、忉利天の帝釈の座位が熱を発し、彼に人間界において、彼が処理せねばならない事件が起きたことを知らせたので、彼は、一匹の鼠を派遣して、木盤を縛り付けている紐を、噛み切らせた。

木盤が落ちて、旃闍摩那祇の足の指を切り落とした。

彼女はその場にいた人々によって寺院を追い出された。

彼女が寺院の大門を出る時、地獄の猛火が即刻彼女を飲み込んだ。

これが、衆生が己自身の内心の煩悩によって汚染されている状況である。

聞く所によると、仏陀が旃闍摩那祇から、この様に不名誉な叱責をされたのは、過去のある一生において、彼が一人のパッチェカ仏を侮辱したことがあるから、である。

次に、小善賢(Cūḷasubhaddā)の絵を見て頂きたい。

みなさんは、これを見て、一幅の美しい絵であるかどうか、ご自分で判断して頂きたい。

(10-27につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等ほぼ原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html

<中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>