Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

★謎の人物~Pañña-adhika Sayalay-3

小学校に上がった当時は、ぼんやりタイプの子供でしたでしょうか?

学校には、勉強の為に行く、という意識がなく、祖母の作ってくれた弁当を食べるのが、一番の楽しみでした

(私立の為、給食がなかった)。

母は日本が嫌になったのか、父の DV の為か、私の小さい時に台湾に帰ってしまい、その為、祖母、父、5人兄弟で、合計 7人という家族構成でしたが(後に継母が来る)、祖母も父も、台湾語しかできない上文盲で、家には、学校で配られた教科書以外の、知的な刺激を促すしゃれた本などは一冊もありませんでした。

しかしなぜか、仏教書だけは、その時々に、手元にあって、大いに乱読したものです。台湾からの移民の我が家に、なぜ日本語の仏教書があったのか、これ、未だに謎ですが。

ただ、日本語で書かれた大乗の仏教書は、私には、まったく納得ができませんでした。

大乗の仏教書を読みながら、いつも「仏陀はこんなこと言わない」と思い、本当は何を言ったのか、<仏法の真髄を知りたい>という思いで、胸は焦がれるばかりでした。

また、日本の僧侶が結婚妻帯して、お寺の状況が、在家の一般家庭と変わらない事、僧侶の身分が世襲されている事に、子供心に「こんなの僧侶とはいえない」と思い、悶々としていました。

ただ、父が取ってくれていた朝日新聞の夕刊に、山田無文師の投稿があり、それを読んでいたく感動し、この人の弟子になりたいな、と思った事はあります。

子供なので、師に会いに行く事までは思いつかなかったのですが、今調べてみると、師の道場は、神戸の我が家から直線距離で 2、3kmくらい。

当時インターネットがあったなら、WEBで調べて、押しかけ弟子になっていたかも知れません(でも、結局、禅宗よりアビダンマ仏教が好き、かも)。

今日はこの辺で。

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>