啐啄同機・・・禅宗でよく言われる格言ですね。
もう40年前になりますか・・・訪日視察団(インバウンド)の随行通訳で、東京ガス本社にお伺いした時、社長室に、この言葉が額に入れられて、壁に飾られているのを、見た事があります。
自分自身の中に、人生に対する深い疑問がある・・・それは一個の玉子・・・胸に抱いて温めていると、いつの日か、それは小さな<雛>になって、中からコッ、コッと、殻を打ち砕き始める。
その時、親鳥(師)がいて、その音を聞いたならば、外からも啄んでやる事によって、雛が殻から出て来るのが早まり、それだけ安全でもある、という事です。
啐啄同機・・・言うは易し行うは・・・少なくとも私は、日本ではよい師に恵まれず、結局、胸の玉子は、一人で温め続け・・・ああ、でも、その玉子がコッ、コッと音を立て始めた時の嬉しさと言ったら・・・私以外、みな私の師であると同時に、私が私の師であった時の喜び・・・。
宗教は、自立と自律の為にある。
こっちに飴玉あるよ、寄っておいで宗教は、こちらから、ごめんこうむりたい。
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>