最近、内田樹の著書を、何冊か読みました。
身体論、修行論に関して、彼に賛同できる部分が多いですが、多少意見が異なる部分もあります。
異なる部分は、例えば『内田樹の大市民講座』の P211
【ヒューマン・スケールを超えて】に書かれている内容に
《(我々は)微小すぎる事象、たとえば、素粒子などの観察に価値を置かない》云々とある事などです。
私、<アビダンマ好き>仏教徒と致しましては、
ゴータマ仏陀の教えは《素粒子(色聚)の無常・苦・無我を悟る事(+心、心所の無常・苦・無我の観察と把握)》にある、と思っていますので、この部分の、彼の考え方には、賛同致しかねます。
「人に斬られたくなければ居ついてはならない」
という思想は、仏教でいう所の
<有形、無形のあらゆる物と事に執着・粘着せず刹那に手放し、六根門を護る事>と同じであると理解すれば、仏教の精神論と合気道の修行論は、根底においては、
<一瞬一瞬の今、ここ>
を覚知・覚醒し、結果として六根門を守る事が出来れば、結局、己を守る事になるという、その種の意味合いが成立する訳で、この点において、それらはお互い修行論、身体論、認知心理学として、非常に似通った本質を持つものであると、私は思います。