先日、水中運動を終えて、露天風呂で一服していた時、
顔見知りのおばさんが寄ってきて、
「私は我が強いから・・・直さなくてはねぇ」
と言います。
多分、私が坊主頭で、どこだかのお寺の尼僧である事を知っていて、僧侶の喜びそうな話題を提供してくれたのだと思いますが・・・。
我が強い、それを矯正する・・・ってどういう事なのか、私にはよく分からない所があります。
気が強い、頑固、出しゃばり、そんな性格は、人に恨みを買い易いので、少し大人しくした方がよい、という意味合いでしょうか?
仏教は、この様な仕方で自己否定を誘導する教えではない、と私は思っています。
心の働きの本質から言えば、他者との調和の為に我をひっこめればよい、という事ではなく(日本の同調圧力の強さと言ったら!)、心は、無常・苦・無我(または因縁生起、すなわち縁起)であるが故に、(その事に気が付いた者の)【自我は終焉する】のだと、私は思うのです。
若い頃、クリシュナムルティの『自我の終焉』という本の背表紙を見た時、私の心は、その題名だけでノックアウトされましたけれど(題名だけでノックアウトされた本はもう一冊、『不確定性の時代』)、新型コロナの為、海外にあるパオ系僧院へ修行に出られない今、クリシュナムルティをもう一度読んでみたいと思っています・・・若い頃の私には、クリシュナムルティは難しすぎましたので、要再読、要復習、という訳です。