Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

老婆の独り言~父母未生以前

九州は連日、雨、雨、雨また雨です。

今朝は、雷も鳴っています。

(今年3月上旬に発病しました)禅病につきましては、朝起きると、両の目~涙腺の辺り~に気感がありますが(寝ている間に、気がここに溜まる)、すぐに(任脈を通って?)下丹田の方へと流れて行きますので、今では毎日、ほぼ問題なく過ごしています(発病初期の頃は、頭頂部に気感が多々あり、何がなんだか分からず、よくパニックになりました)。

現在、座禅・瞑想は基本、<意守丹田>して、(邪)気を下丹田に降ろす以外、安般念(パオ・メソッド方式)も並行して、実践しています。

日頃の安般念(アーナー・パーナー・サティ)の訓練の成果として、よいタイミングで、サティ(正念)がきっちり入った時、 『おっ』 と思う事があります。

禅宗でいう所の

【父母未生以前本来の面目】

が実感できる、と言えば分かりやすいでしょうか?

パオ・メソッドでの安般念は、出入息を無言で観察するもので、ラベリングはしません。

ただ只管(ひたすら)、息(人中辺りの出入息)に心を沿わせ、心を息に全投入していきます。

例えば、蚊に刺されて身体の何処かが痒い時、

『痒い、痒い』

『痒み、痒み』

と [言葉] で表現してしまう、すなわち、身体上の出来事の対象を概念化してしまうと、我々は、それ(痒み)が実在してる様に、錯覚してしまう。

『痒い、痒い』 または 『痒み、痒み』

言語化する前、電光石火でサティができた時、そこにあるのは

『痒み』

ではなく、それは身体上の、エネルギーの移動または、エネルギーの変化の一形態にすぎない事が分かります。

このことが分かった時、我々は

『痒い』→『イライラ』→『怒り』

などの感情の当事者ではなく、出来事の観察者になる事ができます。

上の例えに上げた<痒み>は、長時間持続する事が多い為、正念が足りない凡夫(私の事)では、『イライラ』も消えにくいですが、<痛み>は、サティで見限る事が比較的出来易いと思います・・・激痛が持続する難病などでは、なかなか難しいかもしれませんが、何か物にぶつかった時の一瞬の痛みや、風邪を引いた時の関節の痛み等、軽度のものであれば、修行次第で、凡夫でも

《父母未生以前本来の面目》

の一端を垣間見る事はできると思います。

お試しあれ。

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>