蓮の花が咲きました。
といっても、我が精舎に池はなく、これは、茶碗蓮ならぬ、バケツ蓮です(左に少し見えるのはスイレンです)。
蓮の花は、仏教では、深い意味を持ちます。
私がタイで修行していた時(40年前)、朝、托鉢に来る
僧侶に差し上げようと、信者さんが、白飯や色々な
おかずの他に、蓮の花を持って、家の前で僧侶が来るのを待っている様を、よく見かけたものです。
蓮の花は、泥の中から茎を伸ばして、色とりどりの花を咲かせますが、その葉と花びらは、水を弾いて、穢れる事がない。
私たち凡夫は、凡夫であるが故に、<無明>
(=器世間、身・心に関する真理や道理に無知な事)
を抱え持ちますが、ゴータマ仏陀の教えし八正道、なかでも正念と正定が随時に保持できる様になったならば、
<無明>の中から、清らかな茎が伸びて、やがて<明>
(智慧、叡智)の花を咲かせる事ができる・・・
と、蓮に関して、私はその様なイメージを持っています。
泥(無明)に埋まった身を嘆かず、粛々と修行する・・・
日々の修行(八正道)の蓄積、その機縁が熟した時、修行者の心に<明>が訪れる・・・その時の喜びは、何よりも代えがたい・・・財産や地位や名誉は、何かの事由で失う事があるけれども、己の心に花開いた<明>は、誰も、決して、奪う事ができないが故に。
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>