Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

みやもとそうご様のコメントへの回答ー3

最後に、みやもと様は

経典とアビダンマの関係性について、質問されています。

私は仏教経典学者ではありませんので、的確なお返事はできませんが、以前、緬甸の方(その当時は在家、現在はパオで出家して、比丘)から聞いたお話をご紹介します。

『2600年前、ゴータマ仏陀ご在世の時、当時のインド人は非常に賢明であった為、パーリ経典に書かれている様な簡単な説明、対機説法でも、仏陀が何を言いたいかを、即座に理解する事ができました。

しかし、時代がくだると、経典に書かれてある事が何であるか、即座に理解できる人が、いなくなりました。

それで、現代では、註釈書、復註釈書、復々註釈書を読まなければ、経典に書かれている所の、ゴータマ仏陀の説法の真意を理解できない、という状況になっています。

仏陀ご在世の時代のインド人は、仏陀

「ここに蛇が一匹いる」

といえば、蛇の全身、蛇の習性、蛇の一生を思い浮かべ、仏陀が何を言いたいか、すぐに分かったのです。

現代人は、<蛇>と言われれば、写真を見て、実物を見て、表を見て、裏を見て、解剖して、そうしてやっと蛇への知見を得るのです。

現代人は、パーリ経典を読んだだけでは、仏陀の真意を理解出来ない、と謙虚に認めるべきです。

経典、アビダンマ、註釈書などを学びつつ、修行しなければなりません。』

経典と註釈書との関係性は、上の通りです。

アビダンマは、経典が、対機説法を記録した体裁の為に、法話に脈絡がない事があるため、仏陀法話の真髄を抽出し、整理したもの、という風に理解されています。

また、アビダンマは、仏陀が、先に亡くなった母(マーヤ夫人)の為に、天界に行って説いたもので、その内容が余りに難しいため(天人ならすぐに理解できる)、後に、シャーリープトラが、人類が聞いて分かる内容にして、人々に説いたものだ、と言われています。

これを神話と見做すか、事実とみなすか・・・皆様それぞれに。

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>