Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『親知実見』#16-3

《清浄之道》では、上記の事柄は、禅相とは、「想」によって生じるものであるから、と説明する(Vm.231)。

禅相の異なる事は「想」が原因である。

しかし、「想」は、単独で生じるわけではなく、それは、名法の一種として、それぞれ個別の心識を随伴しながら、その他の名法と共に生起する。それぞれ個別の心識に相応するこれらの名法は、相応心所(cetasika)<注92>と呼ばれる。

例えば、一人の禅修行者が、楽しい心でもって、入出息禅相に専注するならば、その心所は、ただ一つの「想」ではなく、合計33個になるが、それは、すなわち、触、思、一境性、作意、尋、伺、勝解、精進、欲などであるーー「想」が異なるだけでなく、その他のすべての心所もまた異なるのである。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>