信根と慧根、定根と精進根のバランスを取る事は、智者の讃嘆する所である。
もし、信が強く、慧が弱い場合、この人は、無用な、または意義の無い事柄を信じる様になる、例えば、正統な仏教以外の宗教が崇拝する所の対象、すなわち、守護霊とか保護神などを敬い奉る様になるのである。
反対に、若し、慧が強く、信が弱い時、この人は非常に狡猾になる。己自身は、実際には修行を実践しないのに、批評や批判ばかりして、時間を浪費する。
この種の人は、薬をたくさん服用しすぎて、病気を併発した様で、治療が甚だ難しい。
しかしながら、信と慧のバランスがとれている人は、信じるべき対象に対して、信心(=確信)を擁することができる:三宝、業と果報である。
彼は、仏陀の教えに従って禅修行をしさえすれば、似相を見ることができるし、またジャーナも証得する事ができると確信している。
<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>
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