Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『親知実見』#27-6

上記に含まれる意味とは、すなわち、禅修行者は、異なる段階の観智を通り、かつ縁起を了知しないのであれば、輪廻を解脱する事はできない、という事である。

仏陀は《増支部・外道依処等経》において、以下の様に言う:

「比庫たちよ。

何が苦集聖諦(dukkhasamudayaṃariyasaccaṃ)であるか?

[1]無明(avijjā)の縁によりて、行(saṅkhāra)(があり)

[2]行(saṅkhāra)の縁によりて識(viññāṇa)、

[3]識の縁によりて名色(ñāmarūpa)、

[4]名色の縁によりて六処(saḷāyatana)、

[5]六処の縁によりて触(phasso)、

[6]触の縁によりて受(vedanā)、

[7]受の縁によりて愛(taṇhā)、

[8]愛の縁によりて取(upādāna)、

[9]取の縁によりて有(bhavo)、

[10]有の縁によりて生(jāti)、

[11]生の縁によりて

[12]老、死(jarāmaraṇa)、愁(soka)、悲(parideva)、苦(dukkha)、憂(domanassa)、悩(upāyāsa)が生起する。

この様に、苦蘊の全体が生起する。

比庫たちよ、これを苦集聖諦と言う。」(A . 3.62)

上記の項目は、縁起と呼ぶ。

仏陀は、縁起はすなわち、苦集聖諦である、という。

<翻訳文責:緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>