南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

『智慧の光』(6-11)<K氏依頼分>

これでも上手く行かない場合、あなたは慈心の11の長所(功徳)を省察し、これによって、己の訓戒とするべきである。以下の様に反省する:“もし、慈心を修習する事を通して、それらを獲得しようとしているならば、己の嫌いな人に対して、怒る事が出来様か?“と。この様に省察した後、それらの齎す利益を得たいと言う欲を胸に、あなたはあなたの嫌いな人に慈愛を散布する。この様にすれば、あなたは慈心ジャーナを成功裏に証得する事が出来る。成功したならば、あなたは逐一、極めて怨恨のある対象に、慈愛を散布する事が出来、かつ、第三禅を証得する事が出来るまで、慈心の対象を変更しながら修行しなければならない。 

『智慧の光』(6-10)<K氏依頼分>

もし、この方式で以て省察しても尚、ジャーナを証得する事が出来ないならば、あなたは、あなたの嫌いな人に悲心を起こさなければならない。何故であるか?と言うのも一切の衆生は、老い、病、死から逃れる事が出来ないが故に。もし、この人が未だ凡夫(puthujjana)であるならば、彼は未だ悪道(apāya)から離脱できていないが故に。一切の衆生は皆、可哀想な(生き物なので)ある。この様に省察して後、あなたはあなたの嫌いな人に慈愛を散布するならば、あなたはジャーナを証得する事が出来る。もし、これでも上手く行かないのであれば、諸々の界を分別するのも実施可能な方法である。以下の様に省察する:“私は彼の何処に怒りを覚えているのか?私は彼の頭に怒っているのか?彼の体毛に?彼の爪に?彼の皮膚に?肉?腱?骨?骨髄?“等々。逐一、32分身を省察する。もしこうしても尚、怨恨を解消する事が出来ないならば、次は、彼の四界を分別する:“私は彼の地界に怒っているのか?水界?火界?それとも風界?“この様に四界を省察すれば、怨恨は静まる。もし、あなたがすでに四界分別観を修行した事があるならば、この様な省察は、非常に容易に実践出来る。又は、あなたはすでに名色又は五蘊の識別に熟練しているの、であれば、智で以て、五蘊を識別した後、あなたは以下の様に省察する事もできる:“私は彼のどの蘊に怒っているのか?色蘊か?受蘊か?想蘊か?行蘊か?それとも識蘊か?“この様に省察すれぽ、怨恨は静まるに違いない。。…………………………………………     ★願以此功徳、早日証得涅槃楽!

『智慧の光』(6-8/9)<K氏依頼分>

(原稿P15)あなたの嫌いな人に対する慈心の修習…………………………………………………………………………                     あなたは、あなたの嫌いな人に対して、まずは一体、どの様な対象を、慈愛を散布する人物として選ぶのか?………………………………  まずは、あなた自身がその人に対して、ただ少しばかりの怒りの念の有る人を選んで慈愛を散布する。あなたが極めて恨んでいる人は、最後に残して置く(のがよい)。  修行の実践をする時、あなたは、先に、あなたの敬愛する人、あなたの親愛なる人、あなたちとって、好感も不快感もない人に、慈愛を散布する。そして、慈心が強くて力のあるものに変化したならば、禅定の光をあなたが嫌いな同性の者に向けて照らす。その後に、彼に対して“この善き人に仇敵のない様に願う。この善き人に内心での痛苦のない様に願う。この善き人に身体上の痛苦がない様に願う。彼が愉快であり、己を大切に、尊重する様に願う。“と慈愛を散布する。ジャーナを証得するまで、どれか一つの方式を選んで修習する。もし、ジャーナを証得する事ができないならば、《清浄道論》で述べられている所の、種々の方法によって省察する。注33。。人が食事をする時、自分が食べない骨を捨てて、己の好きな肉だけを食べる。人は、それぞれ、ある種の可愛い所、敬愛すべき長所がある。ここにおいて、あなたは、あなたが嫌いな人の、何らかの醜い所、耐え難い卑劣な所等の欠点を気にしてはならない。ただ、彼の長所のみを省察する。その後に再度、彼に慈愛を散布する。もし、この様にしても尚、ジャーナを証得する事ができないのであれば、省察する方法に変更する。仏陀は《無始相経》(AnamataggaSa@yuttaママ)注34の中において、以下の様に言う:過去の無始の長い輪廻の中において、お互いに父でなく、母でなく、子女でなく、兄弟でなく、姉妹等の眷属でなかった者を見つけるのは非常に難しい、と。あなたは、以下の様に省察するべきである:“今、我々はお互いに恨み合う事があるかも知れない。しかし、過去世において、彼又は彼女は、私の非常に親愛なる息子又は娘であったかも知れないし、又は私が彼の息子、娘であったかも知れない。“この様に省察した後、彼に慈愛を散布する。この様にすれば、慈心ジャーナを証得する事ができるであろう。   ★願以此功徳、早日証得涅槃楽!

『智慧の光』(6-6/7)<K氏依頼分>

もし、“この善き人に内心の痛苦がない様にと願う。“の方式で以て、有情の概念に専注する事が、一時間を超えるならば、尋、伺、喜、楽、一境性の五禅支が鮮明に、心に顕現する。即ち、初禅の証得である。この時、もし、あなたが、以前に白遍を修習して、第四禅まで至っているのであれば、慈心第二禅も、非常に容易に証得する事ができる。ただ、初禅の尋、伺を取り除きさえすれば、第二禅を証得する事ができるが故に。もし、更に進んで、第二禅の喜を取り除くならば、楽と一境性と言う二つの禅支を擁する所の、第三禅を証得する事ができる。慈心の修習では、第四禅を証得する事はできない。何故であるか?…………              心が、他人の“仇敵のない様に、内心の痛苦がない様に、身体上の痛苦がない様に。“と願う時、舎(捨)(upekkãママ)に安住する事ができるであろうか?不可能である。故に、慈心の修習は、第三禅までしか証得する事ができないのである。“彼に内心の痛苦がない様にと願う“とい方式で第三禅を証得したならば、その他の三種の方式で以て、引き続き、第三禅を証得するまで、逐一修行する。成功したならば、もう一人別の、あなたが敬愛する所の人物を選び、その人を対象として、修習する。四、五人程採用し、かつ、彼らに対して、第三禅を証得するまで、それぞれに慈愛を散布する。。。。。次に、あなたに対して親愛である者で、かつ同性の人に対して慈愛を散布する。例えば、父親、母親、兄弟、姉妹、又は同性の親戚等である。あなたが敬愛するか又は親愛する者への慈愛が平等であるとというレベルまで修したならば、この時、このニ種の人は、一種の人となる。即ち、あなたが好きな人、である。その後、更に四、五人の、あなたが彼らに好感も不快感もない人を選び、彼らに対して、第三禅を証得するまで、逐一、慈愛を散布する。成功したならば、次に転換して、あなたが嫌いな人に慈愛を散布する。これは、嫌いな人を擁する禅修行者への提言であり、もし、あなたに嫌いな人がいないのであれば、この修行は省略できる。。      ★願以此功徳、早日証得涅槃楽!

『智慧の光』(6-5)<K氏依頼分>

禅定の光を、一人の、あなたが敬愛する所の、あなたと同じ性別の、生きた人物に向けて光り照らし、その後に、下記の如くに、彼(彼女。以下同様。)に向けて慈愛を散布する:Aya@sappuriso avero hotu, abyãpajjho hotu, anãgho hitu, sukhã attãna@ pariharatu.ーー………………………………………………………………………                  “(一)この善き人に仇敵のなき様に願う。…………               (二)彼(彼女)に内心の痛苦がない様にと願う。………………………………………………………………(三)彼に身体上の痛苦がない様にと願う。…………              (四)彼が愉快に、己自身を大切に、己自身を尊重する様にと願う。“  ………………………………      この四種の方式で以て、慈愛を三、四回散布した後、その中の、己が一番好きな方式を選ぶ。例えば、あなたの一番好きな方式が:“かれに心内の痛苦がない様にと願う。“ であるならば、禅定の光があなたの敬愛する人を照らしている内に、あなたは、この方法で以て、きっちりと、彼に慈愛を散布する。心の中において、“この善き人に、心内の痛苦がない様にと願う、彼に心内の痛苦がない様にと願う。“と黙念する。彼に心内の痛苦がない様、顔に微笑を伴っている所のイメージを取り、かつ、あなたがこのイメージに極めて専注する事が出来るならば、それはすでにジャーナに近いのである。……………………………………………………    ここにおいて、明確に注意を促したい事柄がある。それは即ち:禅定の光が当該の人物を照らす時、彼(彼女)が座っていても、立っていても、彼が楽しい状態にある所の、その様な姿勢を選択しなければならない。又、慈心の目標は、究極法ではなく、有情の概念(satta pa@atti)である事、である。

。。。★願以此功徳、早日証得涅槃楽!

『智慧の光』(6-3/4)<K氏依頼分>

(原稿P14)この時、もしあなたがすでに、白遍の第四禅の五自在に熟練しているならば、あなたは簡単に慈心ジャーナ(mettā jhāna) を証得して、慈心を成就する事が出来る。これは、白遍の第四禅の親依止力(upanissaya satti 近依止力)が慈心の効果を高めるが故である。と言うのも、異なるジャーナは、親依止力を通して相互に支援し合う事ができるが故に。その為、あなたは再度白遍第四禅に入り、禅定の光が明るく輝く様になったなら、以下に述べる四種の意念で以て、己自身の慈愛を育成するのがよい:Aha@avero homi, abyāpajjo homi, anāgho homi, sukhā attāna@pariharami.…………………………………………        “(一)私に仇敵のない様に願う。……………………            (二)私に内心の痛苦がない様に願う。   (三)私の身体に痛苦がない様に願う。   (四)私は自己を大切に尊重して愉快に過ごせる様に願う。“たとえ100年修行しようとも、あなたはやはり己自身を対象にして慈心ジャーナに到達目標する事はできない。それなのに、なぜ、一番最初は、己自身に対して、慈心の修行をするのであるか?この修行は、近行定又は安止定に到達する為のものではない。それは、己自身に対する慈愛を育成した後、あなたは己を基礎に他人を思いやる事が出来る様になるからである。まさに、あなた自身が、安楽を得たいと思い、苦を受けたくないと思い、長寿でありたいと願い、死ぬことを願わない様に、その他の一切の衆生も又、安楽でいたいと思い、苦を受けたくないと思い、長寿でありたいと願い、死ぬ事を願わないのである。この様にして、あなたの心は柔軟になり、優しく善良になり、寛容で他人への思いやりのある様になる。そうなれば、あなたは他人のへの慈愛を育成する事を開始する事が出来る。。………………………………        ★願以此功徳、早日証得涅槃落札!

『智慧の光』(6-1/2)<K氏依頼分>

第六章:四護衛業処            個人を対象にした慈心ジーャナ……………………              今夜は、四種の護衛の業処の解説をする。即ち、慈心の修習(注31)、仏随念、不浄の修習及び死随念である。慈心を修習したいならば、先に、どの様な種類の人間が禅修行の対象として相応しいか、又はどの様な種類の人間が、禅修行の対象として相応しくないかを、知る必要がある。ただ一人の人を禅修行の対象とする時、決して異性を対象にしてはならない。故に、女性の禅修行者ならば、ただ一人の男性を慈心の修習の対象にしてはならない。同じく、男性の禅修行者も又、ただ一人の女性を慈心の修習の対象にしてはならない。もし、ただ一人の異性を対象にして修習するならば、貪欲(rãga)が生起して、禅の修行の障害になるであろう。しかしながら、慈心の遍満を修習する時、例えば、一切の有情、一切の有息者、一切の男性、一切の女性等に慈愛を散布する(sabbe sttã,sabbe pã@ã, sabbe purisā, sabbā itthiyo……ママ)のであるならば、この場合は、異性を内に含んでも問題はない。。。          これ以外に、死者も又慈心の修習の対象にしてはならない。と言うのも、これではジーャナを証得する事が出来ないが故に。慈心の修習を始めたばかりの頃、ある種の人々は、禅の修行の対象としては相応しくないものがある。即ち、一、あなたにとって、極めて親しい人。と言うのも、この場合は、感傷的(注32)になってしまうが故に。二、その人に対して、あなたは好感も悪感情も持たない時。と言うのも、この段階においては、この種の人を対象にすると修行に困難が伴う為。三、あなたが嫌っている人。と言うのも、修行の初期段階で、嫌いな人に慈心の生じせしめる事は容易ではない為。 故に、始まりの段階では、あなたは先に己自身に慈愛を散布し、その後に一人の、あなたが敬愛し、かつ、同性であり、かつ生きた人物を、慈心を修習する為の主要な対象とするのが適切である。。         ★願以此功徳、早日証得涅槃楽!