【もう一つ別の例】過去世の臨終速行心の目標を識別する時、例えば、出現したのが、仏塔に食べ物を供える業であるとしたら、食べ物を布施する時の色相の四界を識別した後、更に一歩進んで、名色法を識別する。特に、心所依処及び有分心を識別しなければならない。前に向け、又、後ろに向けて臨終速行心と、それより更に前にある所の、心と心の間にある有分心を識別する。こうすれば、これらの有分心の間に生起する所の、心路過程を見る事が出来る。こうして遡って探して行くと、発願した時の心路過程と、食べ物を布施する時の心路過程を見つける事が出来る。それらを識別する。禅修行者は、これらの心路過程の中の煩悩輪転(即ち、無明、愛、取)及び業輪転(即ち行と業)を探し出す能力がなくてはならない。。。…………………………………………………… 例えば、その禅修行者は以下の様に発願する:“私は涅槃を証得する事のできる比丘になる様にと願う。“…………………… 【意門転向五蘊】1.色蘊には、合計五種の色聚がある。即ち、46種のの色法、である。三種は、心蔵の中にある業生色聚で、一種の心生色聚と一種の時節生色聚である。(この時は、まだ食生色は生起する事はできない。)。2.受蘊は意門転向(12)の中の(舎)受である。3.想蘊は、意門転向(12)の中の想である。4.(a)行蘊は意門転向(12)の中の思である。(1番目の解説方法)。(b)行蘊は意門転向(12)の中の、その他の九つの心所である。(二番目の説明方法)。5.識蘊は、意門転向(12)の中の識である。………………………………………… 【意門転向色蘊】五個の過去因が存在する:1.無明(20)は因、色蘊は果。2.愛(20)は因、色蘊は果。3.取(20)は因、色蘊は果。4.行(34)は因、色蘊は果。5.業(34)は業力の因、色蘊は果。及び2個の現在因。6.心は因、心生色は果。7.時節は因、時節生色は果。…………★願以此功徳、早日証得涅槃楽!
『智慧の光』(12-3)<K氏依頼分>
【一人の禅修行者の例】更に分かりやすく説明する為に、こ五では、一人の禅修行者の例を挙げる。過去の臨終の時まで遡って探求した所、彼女は、一人の比丘に果物を布施した業が、有分心の間に出現するのを見た(即ち、臨終速行心の目標)。果物を布施した時の色相の四界を識別した後、彼女は更に一歩進んで、名色法を識別した。その結果、彼女は、良質な教育を受ける事のできる都会の女性になりたいと発願しているの時の心路過程(彼女は己が、文盲の田舎住まいの村人である事に不満を持っていた。)と、果物を布施した時の心路過程を知る事となった。これらは:1.無明(20)=良質な教育を受ける事の出来る都会の女性がいると誤解している。2.愛(20)=女性の生活を渇愛している。3.取(20)=その女性の生活に執着している。4.行(34)=果物を比丘に布施した善思グループ。5.業=その(34)業力。……………………この例では、(20)は、煩悩輪転意門心路過程における、一つ一つの速行心の20個の貪見グループ名法を指している。(34)は、果物を布施した時の意門善速行心路過程の中の、一つ一つの速行心の信慧グループ名法を指す。今世において、この禅修行者は、良質な教育を受けた都会の女性になった。因果関係の間の因と縁の関係を識別する時、彼女は智知で以て、果物を布施した事による善業力が非常に多くの果報蘊を生じた事を、彼女自ら見る事が出来た。例えば、今世の結生果報五蘊等等である。この、因果の間にある因縁の関係を、徹底的に知見する智慧は、即ち、縁摂受智である。これらの事柄を更に理解する為に、もう一つの例を挙げる。………………………………………… ★願以此功徳、早日証得涅槃楽!
『智慧の光』(12-1/2)<K氏依頼分>
【第11章:縁起第五法】善意王女が過去に発した願。…………………………………………………… 無明、愛、取、行と業を、更に理解しやすくする為に、ここでは、コーサラ王(KingKosala)の娘善意王女(Princess Sumana)が、過去において発した所の願について、述べる。観慧仏(VipassiBuddha)の時代、彼女(後の善意王女)は、善意と言う名の花と、乳飯を観慧仏を主とするサンガに布施し、その後に発願して述べた:Bhavābhavābhi nibbatiya@me sati paritassanajāvitam nāma mā hitu, aya@sumanamālā viya nibbattanibbattaññhāne pĪyāva homi nāmena ca sumanāyeva.ママーー“何処に生まれ変わっても、私の生活に憂いのない様に願います。何処に生まれ変わっても、私は花の様で、人が一目見て私を愛してくれます様にと願います私の名前は、善意であります様に願います。“上に述べた善業と願いの中において、煩悩輪転と業輪転の二者が共に含まれている。即ち:1.無明=生活に憂いなく、人に一目みられただけで愛される所の、名前を善意と言う“女性“が存在すると錯覚している。……………………2.愛=その女性としての生活を渇愛している。3.取=その女性の生活に執着しておる。4.行=善意と言う名前の花と乳飯を、観慧仏を主とするサンガに布施した時に善思グループの名法が生起した。5.その善思グループの業力(kamma satti)。………… この五因は、善意王女のいくつかの果報蘊(viipāka khandha)の因となる。。。、 ★願以此功徳、早日証得涅槃楽!
『智慧の光』(11-4)<K氏依頼分>
(原稿P20)彼は初禅から出た後、法所縁に属する所の“ジャーナ名法“を観察する。その後、彼は又、逐一、その他三個のジャーナから出定した後、第二、第三及び第四のジャーナの名法をそれぞれ個別に観察しなければならない。その後、《中部注》の中に書かれている如くに、実践しなければならない。即ち:Tato tadārammaoe phassapamake namnti. Eva nāma @āpapariggaīhetvāママ ーー“彼は更に一歩進んで、28種の色法を28……ママ。ここでの色業処の修法は、第九章“色業処“の理解と同じである。所縁の触五法である。“ この様にして、名色法を観察する。その後に、色法とそれらの因を、涅槃を証得するまで、無常、苦、無我として観ずる。
『智慧の光』(11-1/2/3)<K氏依頼分>
(原稿P19)【第七章:四界分別観】………… ……………………………………………………“推進“(の作用)識別の始め………… 一、全身の頭部から足までの、12種の性質を非常に明確に識別出来る様になったならば、あなたは以下の順序に従って、それらを、再三再四識別しなければならない。己に対して、この様に実践できた事に満足したならば、あなたは最初に説明した所の順序に従って、あらためて修行しなければならない。即ち、硬さ、粗さ、重さ、柔らかさ、滑らかさ、軽さ、流動性、粘着性、熱さ、冷たさ、支持性、推進性である。この様な順序で、頭部から足まで、逐一、一つ一つの性質を、あなたが相当の速さで、一分内でおおよそ三回転して、識別出来る様になるまで、識別の訓練をする。…………諸々の界のバランス………………………………………… この様に修行している時、ある種の禅修行者は、諸々の界に関して、バランスを失ってしまう事がある。ある種の界は、過剰に強化されて、人は耐え難くなってしまう。特に、硬さ、熱さと推進性において。もし、この様な状況が発生したならば、あなたは、比較的多くの注意力を、過剰に強化された界の、その対立する方の性質に向け、かつ、引き続き、定力を育成する。この様にすれば諸々の界はバランスする事が出来る。これが、何故、先に12種の性質を教え導かねばならないか、の回答である。諸々の界がバランスした時、比較的容易に定力を育成する事が出来る。相対的な性質とは:硬さと柔らかさ、粗さと滑らかさ、重さと軽さ、流動性と粘着性、熱さと冷たさ、支持性と推進性である。もし、それぞれの一対の、その中の一つの性質が過剰に強い時、相対する性質に多くの注意を払うのがよい。例えば、流動性の性質が過剰である時、粘着性に対して多めに注意を払う。支持性の性質が過剰に強い時、推進性に対して多めに注意を払うのである。今、あなたはすでに身体全体の12種の性質を識別する事に熟練した。それらが明晰になった時、そしてそれらが同時に顕現する様であれば、あなたは、それらを地、水、火、風の四組として観ずる様にする。あなたは六種の性質をまとめて“地界“として識別しなければならない。その時同時に、流動性と粘着性を“水界“として識別する。次に熱さと冷たさを、“火界“、支持性と推進性を“風界“として識別する。あなたは引き続き、それらを地、水、火、風として識別を継続し、心をして平静にさせ、定力を獲得する様にする。不断に何度も重ねて100回、1000回ないしは百万回修習する。
カブキ
四季咲き中輪バラ。名前は《カブキ》。大木の下に植えて、成長が悪くなっていたのを、鉢に植え換えて養生した所、今年、立派な蕾がつきました。蕾を鹿に食べられない様に、朝、庭に出して、夜は家に取り込む <門限付き箱入り娘> です。
『智慧の光』(10-3/4/5)<K氏依頼分>
こうした事から、仏随念の修行を始める前に、必ず、先に仏陀の像をイメージしなければならない。そうでなければ、我々は、阿羅漢等の特質は、誰に属するのかを知る事が出来ないではないか?……………………………… 仏陀の時代の人々は、仏陀の真正の容貌を観ずる事が出来るが、しかし、今は仏陀はすでに入滅てしまった。故に、我々は仏陀の像を観ずるより方法はない。仏陀の像で以て、仏陀を代表させる訳である。…………………… ここに一つの問題がある:仏陀の色相(rāpaママ)を観じないで、仏随念を修行してもよいかどうか?この問題に関しては、いくつかの論点が存在する。そうであっても、“世尊“(Bhagavā)というこの項の特質には、六個の定義がある。その中の一つは、一切の祥瑞(sīrā)を擁している事である。それは即ち、祥瑞である事と、敬うべき色相であるという事である。。故に、仏陀の祥瑞の色相を目標にして仏随念を修行する事は可能である。………………………………………… あある種の人々は、以下の様に問うかも知れない:もし、過去世において、仏陀に出会った事がない、又は、かつて出会った事があるにしても、今生からは遠く離れていて、その為に過去の仏陀の色相が心中に出現しないとしたら、どうすればよいのか?と。…………………………………………………………………………実際は、彼は一尊の、己が一番尊敬する所の、仏陀の像を目標にし、その後で、仏陀に属する所の、ある一つの功徳を観ずる事に転換する事ができる。仏陀の九項の功徳の中から、己が一番好きな一項から始めるのである。…………………………………………………… 事前に、功徳の含意を理解しておく必要がある。もし“阿羅漢“(araha@)と
いう、この功徳を選択したならば、あなたは、はっきりと明確にその五種の定義を知っておかねばならない。その後で、その中から、あなたが最も好きな定義のものを一種、選ぶのである。例えば、あなたの選んだ定義が、“彼は人と天神の尊敬を受けるべきである。というのも、彼の戒、定と慧は、独特で無二であるが故に。そうであるから、阿羅漢と呼ばれるのである。“貴男はこの功徳を禅修行の目標にしたのであるから、心の中において、“阿羅漢、阿羅漢“と黙念する。心が、“阿羅漢“という、この功徳に専注できる時、仏陀の色相は消失する可能性がある。もし、本当に消失したならば、それを探してはならない。ただ、引き続き、心をして、功徳に専注する事を保持せしめる。心が功徳に専注して約一時間経つ頃、もし、あなたが心所依処を識別するならば、あなたは、尋、伺、喜、楽と一境性という5個の近行定の禅支を見る事ができる。以上は、“阿羅漢“という功徳を目標に取って、仏随念の修行をする方法である。正等覚者(Sammā sambuddhoママ)、明行足(Vijjāーcaraoa sampannoママ)等の、その他の功徳への修行方法もまた同じである。……………………………………………………★願以此功徳、早日証得涅槃楽!