Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

2016-09-10から1日間の記事一覧

「修心与神通」(翻訳文)~7-2★

仏陀は我々の定の修習のために、無量無辺なる法門を教えてくれた。だた、何も、この法門があの法門よりいいとか悪いとか、レベルが高いとか低いとか、速いとか遅いとか、ではない。 というのも、衆生にはいろいろな性があり、種々の欲があり、それぞれ、何を…

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)~176-3

この時、彼の先生は、自分がいまだ一人の凡夫であることに気が付いた。彼は謙虚に法施阿羅漢に助けを求めた。 法施阿羅漢曰く: 「尊者、心配しないで。私はまさにあなたを手助けしに来たのです」 こうして、彼は先生のために、一種の業処を詳しく説明し、大…

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)~176 -2

ある日、彼の弟子である法施阿羅漢は、自分の住居にいて、心に思った:「我々の、Uccavalikaに住んでいる先生大龍大長老は、すでに究極の沙門果を得ただろうか?」 観察してみると、彼は彼の先生がいまだ凡夫であり、かつ、彼が先生に注意を促さなければ、先…

「修心与神通」(翻訳文)~7-1

6、どのように修行して定に入るのか? 世尊は言う: 「謂如所縁、作種種作、而入於定」 ここで言うと所の所縁とは、浄土宗において「阿弥陀仏」の仏号を念じ続けて、念ぜずといえども念ず、念ずといえども念ぜす、という境地、道家では「竅を守る」というレ…

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)~176-1★

<問答二> 問2-1:禅の修習をする修行者の中で、四禅八定を証悟し、あまつさえ観禅(ヴィパサー)まで修行している人がいます。しかし、彼らの日常の行為または徳行は決して良くありません。あまり戒律を守らないし、多くの人々は、この修行の法門に懐疑心…