Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

2016-03-01から1ヶ月間の記事一覧

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー47

[識] 識とは何か?仏陀は6種類の識がある、と言った。すなわち、 眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識である。 縁起を、三世輪廻の事として理解したい人は、(《清浄道論》 までもがそういうのだが)識をば、結生識として解釈している。 そして、そのことに…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー46

縁起の各支分の説明~~ これから、私は縁起の各支分について、皆さまが縁起を正確に 理解できるよう、こまかく説明する。縁起の経文を暗記できる 人は非常に幸いだ。そうすれば、比較的容易に縁起を理解でき るから。 私はこれから縁起の説明をするが、暗記…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー46

[中間における滅尽] 最後の一つは、非常に不思議な説明の仕方のもの。 ただいくつかの経典にのみ、書かれている。 「集」は、すでに中途まで発展している、すなわち、愛まで 到達しているのに、「滅」に戻るーー愛滅するによって取滅し、 取滅するによって…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー45

[中間から始めて最初までを言う縁起] 三番目は、11種類の状況の全部を言わず、真ん中から始める。 すなわち、四食(段食、触食、思食、識食)は、渇愛を助縁に している事を言う。段食を例に取ると、段食は、愛からきて、 愛は受からきて、受は触からきて、…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー44

縁起に関する五種類の説明~~ [正順縁起] ある時には、仏陀は、我々がよく経文をとなえる時と同じような、 正順で縁起を説明する。それは、無明から始まって、生老病死 までの、11種類のすべての状況を含む、縁起である。 すなわち、無明あるによって行あ…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー43

これ(no.42の内容)は、仏陀が覚醒した後、発見した縁起であり、 彼は、苦の連鎖、苦とは11種類の状況によって、生み出される 事を発見したのだ、ともいえる。 我々が外境と接触する時、もし、無明(正念を失う事)が己の主人 となるならば、その場におい…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー42

生あるがために老死あり、有あるがために生あり、取あるがために 有あり、愛あるがために取あり、受あるがために愛あり、 触あるがために受あり、六入あるがために触あり、名色あるがために 六入あり、識あるがために名色あり、行あるがために識あり、 無明…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー41

仏陀、縁起を発見す~~ 次に縁起説の由来について、説明する。 縁起説とは、どのような経緯でもって、成立したのか? 《相応部》仏陀品の中で、仏陀は、彼が出家して6年の間、 色々な苦行を修行した後、その最後になってようやく、 今、我々が研究している…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー40

ここで我々が話題にしているのは<人>である。観じたり、 見たりすることのできる人間、いつの時でも、目が観じ、 見る時、自然に周辺の物事、事柄を目にするが、見たもの に意義がなければ、縁起とは関係がない。 目が見たものが、樹木、野草、石ころなど…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー39

次に、簡単に、<縁起の苦>の原理について、お話したい。 仏教を学んだ人は、分かっていると思うが、6根と、ある種 の価値、または意義を持つ6塵が接触した時、6塵は、無明 の拠り所となる。 たとえば、目が樹木、石ころなどを一瞥した時、苦を生じる事 …

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー38

(中略) 縁起の苦は取に依る~~ 縁起の苦は、取を助縁として生起する。たとえば、農夫が 炎天下の田畑で仕事をしていて、もし<取>がないならば、 「おお、暑いなぁ」と言うものの、この種の「非常に暑い」 という感受は、ただの自然的に発生する苦に過ぎ…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー37

縁起を徹底的に理解するために、縁起の11種類の状況 について説明する: 1、無明縁行:無明を縁として、行が生じる。 2、行縁識:行を縁として、識が生じる。 3、識縁名色:識を縁として、名色が生じる。 4、名色縁六入:名色を縁として、六入が生じる。…

ブッダダーサ「生活の中の縁起」(翻訳文)ー36

11種類の縁起~~ 現代社会には、一つの、非常によくない状況がある。現代社会で 教えている縁起は、原始パーリ経典に合っていないし、経典に依拠 してもいない。 原始パーリ経典での説明と、現在伝授されている内容は、全然別の、 二つの事柄だ。 原始パ…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー35

どのような方法で苦を滅するのか?どのように実践するのか?~~ 次の問題は「どのような方法で苦を滅するのか?」である。 答えは、一般的な法則と同じ:正しく修行をする、すなわち、 正しい生活、または正命(正しい方法で命を維持する事)を 実践する。 …

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー34

なぜ縁起を知るべきか?~~ 次の問題は「縁起を知ると、どういう利益があるか?」について。 縁起を理解する目的は、我々をして邪見を離れ、正見を生じせしめ、 その事によって、徹底的に苦を滅する事(をめざす)。 邪見とは、「人」が存在している、そし…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー33

上記(No.32での意見)は、邪見の一種である。 識を、恒常的なもの、貯め置かれるもの、主宰的なものとして 認識し、縁生法(縁によって生じる現象)、または縁起の現象 として認めないのは、邪見である。 実際は、識は、ただの縁生の法であり、それには自我…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー32

当時、比丘たちは、ティッサ比丘に、邪見を放棄するように 勧めたが、ティッサ比丘は邪見に固執し、自己の主張を 墨守したため、比丘たちは、仕方なく仏陀に訴えた。 仏陀は、テッィサ比丘を呼んで、彼に訊ねた「あなたは 本当にこういう考え方を持っている…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー31

なぜ縁起を理解する必要があるのか?~~ 二つ目の問題は「なぜ縁起を理解する必要があるのか?」。 仏教の学習と修行をするためには、縁起を理解しなければならない。 現代の人々が、縁起を理解しないがために、縁起は邪見としてとらえ られている。普通の…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー30

縁起とは何か? もし人が「縁起とは何ですか?」と問うたら、我々は:「縁起とは、 苦の生・滅がどのように発生するかを、非常に詳細に指摘したもの です」と答える事ができる。 それは、苦の生と滅は、依存し合って、流転・捻転する自然現象で あって、超能…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー29

縁起とは円満なる聖諦である~~ 私は、必ずや「縁起」を話題にしない訳にはいかない。というのも、 それは<仏教の核心>であるから。 <仏教の核心>という話を持ち出すと、多くの人々は、四聖諦の 事を思い出す。ここで皆様に理解してもらいたいのは、縁…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー28

一般の人からみれば、「縁起」というこの単語は、非常に理解しにくい ものである。しかし、我々にとって、他に代替えできる文字がないため、 「縁起」という言葉を理解するよう努力するのは、各人の責任という事 になる。不断に、この名詞について思いを巡ら…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)-27

皆様に注意して頂きたいのは、世俗諦の正見において、自我はある と説明される事はあっても、勝義諦の正見では、自我というものは ない、と説かれている事である。 自我なんて、どこにあるだろうか? これら(上述の二種類の正見)は、仏教の正見といえるが…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー26

縁起の言語、または無上の法語は、我々をして如実に、物事の真相 を理解できるよう、支援してくれる。 例えば正見(sammāーdhiṭṭhi)は、一般の人または凡夫が使う日常 用語で説明するならば、この世界があり、他方世界があり、父がおり、 母がおり、天国が…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー25

我々は、縁起の還・滅の中において、真実の仏・法・僧を、 <今・ここ>において体験・証明する事が出来る、という 事を発見する・・・ただし、それは、智慧ある者のみが、 自ら体現するものである事も。 そして、この事は、常見を持つ人が言う所の三宝より…

是誰庵のひとやすみ~57>大愚

若い頃、日本の禅書を読んでいて、心に残った言葉があります。 それは「(修行すれば修行するほど)何事も分からない」と いう一言です。 若かった私の頭は「???」で一杯になりましたけど・・・ 今は分かります。 先日、長らく会っていない知人から葉書が…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー24

もし、縁起の法則の中の、刹那なる現象を徹底的に見通す事が できるならば、上述の経典の中の物語のような<自我がある> などという話は出てこない。 縁起の流れの中で、たとえば、今生、来世、悪道(地獄、餓鬼、 畜生、阿修羅)、人、天神及び梵天、また…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー23

仏陀が縁起を教え、指導したのは、さらに徹底的に我見(自己中心的 なものの見方、私はある、という考え)を取り除くため、また、自我 を取り除くためであることは、はっきりしている。 5蘊を一つ一つ分析して「無我」だとみなすだけでは、(悟りに到達 す…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー22

9)縁起とは、刹那の現象であり、恒常ではない。故に、 所謂、(縁起で用いられている)生または死(という言葉) は、普通の人の日常生活の内で縁起が、流転・捻転する (という現象の)中において、説明されなければならない。 前述した所の、根境が接触…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー21

8)経典に描かれている縁起には色々な種類がある。たとえば: (1)無明から老死(苦)までーー縁起を正順の方法で説明 しているもの。 (2)老死(苦)から無明ーー縁起を逆順で説明しているもの。 この(1)と(2)の正順と逆順の二種類の説明は、縁…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー20

6)業(kamma)の角度からみると、縁起が顕現させるのは、 非黒非白業及び黒業、白業の滅尽で、かつ、福業、非福業と 不動業のすべてを「苦」と見做す。 この三種類の業を超越して初めて、徹底的に苦を滅する事が 出来る。このようにして初めて、業が、自我…