Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

2016-03-01から1ヶ月間の記事一覧

是誰庵のひとやすみ~56>無念無想

知人(浄土宗信者)「あなた、どんな修行しているの?」 私「主に瞑想・座禅です」 知人「あら~~、坐禅って、無念無想を目指している?」 「そんなの無理無理」 私「・・・」 いや、坐禅っていわゆる、<枯れ木のような無念無想>を目指 している訳ではな…

是誰庵のひとやすみ~55>謡曲発表会

最近、ブログに難しい翻訳が続きましたので、一休み、 一休み(笑)。 昨日18日は、謡曲の会の発表会でした。 といっても内輪の会で、招待客とかは、いません。 私は、年末台湾にいて、練習できなかったので、発表会は 参加しないつもりでしたが、「<地>…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー19

5)縁起の過程の中では、ただ縁起法だけが存在している。 一切の現象は、その他の条件が相互に依存することによって、 初めて生じ、そしてそれは、刹那における生・滅なのである。 刹那の生・滅が終わるとすぐに、捻転として、お互いがお互いに 依存しなが…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー18

4)縁起の言語の中には、自我の結生識というものはない。 故に、縁起の中の識とは、6識を指す(6根が6塵と接触 して生じるもの)。 しかし、もしあなたが、6識を結生識と見なすなら、それ でもよい。しかしながら、6識自体を、そのように解釈し たなら…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー17

縁起の原則 縁起の原則とは以下の通りである: 1)6根と6塵が接触する1刹那毎の中に、解脱(訳者注)に有効な 念、智、がないならば、有(bhava)と生(jāti)が出現する。 2)縁起の言語の中には、苦を受ける人間としての、または苦を滅する 人間とし…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー16

もし、《カラマ経》と「四大教法」を掌握し、仏陀の制定した 決定と原則に従って探し求めるならば、我々は積み重なったゴミ の中から、多くの、正しいものを選び出す事ができる。 これは、すべての論典に価値がないと言っている訳ではなく、 厳格に、仏陀の…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー15

原始パーリ経典の中から、仏陀の宣揚した法を探すならば、 我々は二種類の違い、区別をはっきりと、みつける事が 出来る。 第一の部分は道徳で、常見を有する人々を指導する ためのもの。 もう一つは勝義諦で、常見を否定しながら、同時に断見にも 落ないよ…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー14

我々がお互いに注意し合わねばならないのは、仏教の真髄ーー縁起を、 万物霊魂論、すなわち神識が輪廻しているという考えを説明するのに 使う事について、慎重であるべき、ということだ。 この原子、宇宙の時代に、西洋の学者は、このような観念を嘲笑・ 風…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー13

現代社会において、縁起については、二種類の説明の仕方がある。 その内の一つは、歪曲がひどく、実践できない縁起であり、 この歪曲された縁起は、1000年以上にわたって伝えら れてきた。 もう一つは、直接仏陀の本懐に切り込む縁起であり、<根門 の触…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー12

善なる因縁がいまだ改変されていない時、通常、人の習性としては、 道徳に執着して、善行によって安心を得ようとする事が多い。 一旦因縁が改変されたら、執着によって無常なる苦と無我を感じる 事が分かるようになり、道徳もまた決して究極的な依拠処ではな…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー11

(仏教で)道徳の説明をするとき、必ず「人」がいるとか、 「衆生」がいるとか、「私」とか、「如来」とか、言わな い訳にはいかない。 人に幸せの話をするときには、死後における幸福の果報の 話もしなければならない。 しかしながら、勝義諦の話をする時は…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー10

「日常用語」と「法(ダンマ)の言語」~ 縁起の教えを宣揚するにあたって、一つの不思議な事実がある: 仏陀が苦労して教えを弘める時、同時に二種類の言語を使う必 要があった。 一つは「日常用語」で、これをもって、常見に惑わされている 人を指導し、彼…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー9

これこそが、縁起の奥深い理由であり、仏陀のような智者で あってさえも、あらゆる苦労と労力を尽くして、ようやく 発見したものであり、その後に教えを確立して、一切の衆生 を導いた。 このようではあるけれども、縁起はなお、理解しがたいもの であったた…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー8

凡夫は、常見の認識しかもたない。という事は、常に一個の 「自我」があると思っている。故に、凡夫は、縁起について、 非常に奥深く、理解しがたいものに思える。彼らからすれば、 縁起とは、先ほど述べたように、絡まってしまった糸のよう に、奥深くまた…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー7

縁起とは、非常に奥深く、まさに仏教の核心、または真髄である。 元々、縁起とは奥深いものであるが故に、必然的に色々な問題を 引き起こす。 これらの問題は、翻って仏教を害し、その為、仏教徒が、この 核心的な教えから、利益を受けられないという事にも…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー6

《ここより本題》 縁起甚深~ 縁起は、仏教徒にとって、必ず学ばなければならない課題である。 パーリ経典《長部》で述べているように: 正等覚者が善く述べた法は、争いをやめ、梵行を長くとどめ、その 利益を述べ、天と人が安穏を得るために、比丘は、よく…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー5

ブッダダーサ尊者の、縁起に関する解説は、強力な後ろ盾に 依っている。彼は各種の論集を調べるのではなくて、直接 原始パーリ経典に戻り、資料の源流を探索し、かつ常に 教理が現実の中で活用できるにように思惟し、此の生、 此の世で苦を滅したいと真剣に…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー4

縁起を正しく理解する事は非常に重要である。それは我々に、 「私」という観念が、色々な異なった因と縁の条件によって 生滅しているだけである事を認識させ、我々をして「永遠に 存在する不滅の私がある」という謬見から抜け出させること ができる。 元々「…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」翻訳文ー3

彼は一生涯「自然」を尊重した。 彼は大自然の中で「如是」の見解を学び、また彼の自己の 生命観の上にも反映させた。 例えば、晩年に病気をした時、彼は「病とは所詮かくの如く であり、因と縁の必然性によって生じるものであり・・・ 痛みは只の感覚であり…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」翻訳文ー2

ブッダダーサ尊者は、正しい解脱を求めるのならば、 大自然に向かって学習しなければならないと、考えている。 若い頃、森林の中で修行していた時、動物たちの夜の 行動を観察して、「法」は、世俗のように夜になると 入睡するのではなくて、真実の修行をす…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)-1

「生活の中の縁起」(原題「生活中的縁起」) (台湾香光尼僧集団翻訳グループによる前言大意)・・・ 《仏教の全体像を知るためには、南伝仏教は非常に重要である。 台湾は現在、仏教活動が非常に活発であるけれども、南伝仏教 の内に保たれれている原始的…

ブッダダーサ「生活の中の縁起」~翻訳の前に

昨日ブログで、次回よりブッダダーサ比丘の「生活の中 の縁起」(原題「生活中的縁起」台湾にて出版)を翻訳 します、と予告しました所、一読者から「輪廻を否定する ブッダダーサの見解は間違っている」というご指摘を 受けました。 ブッダダーサは、仏陀の…

ブッダダーサ比丘「生活中的縁起」翻訳開始お知らせ

本日、「断除四煩悩」の翻訳が終わりました。 お読みいただいた方々、ありがとうございました。 私はテーラワーダ(南伝仏教)で出家した尼僧ですが、 北伝の大乗を、全否定している訳ではありません。 それで今回、台湾で出版された仏教書「断除四煩悩」を …

「四煩悩を断つ」(「断除四煩悩」翻訳文)―37(シリーズ最終版)

三、結論 皆さんは、心の内部から、仏が教えた法を体験するべきだ。 自発的な心で、自ら体験し、心の深い所で変容する事がない ならば、修行者とは言えず、ただ仏と縁を結んだだけなのだ、 というしかない。 仏法は単刀直入、心性の上に利益をもたらす事が出…

「四煩悩を断つ」(「断除四煩悩」翻訳)―36

10、不恨(怨恨をなくす) 三毒を浄化し、現実を受け入れるーー 心の中に怨恨、嫉妬、狂妄を持ってはならない。 我々は、自己の内部に潜伏する問題を解決しないならば、 それはいつまでたっても存在し続ける。人と人との間で、 表面的には波風が立っていな…

「四煩悩を断つ」(「断除四煩悩」翻訳文)―35

8、行捨 我々は、不必要な煩悩を捨てようではないか。 自分の懐を痛めて、少しばかり布施をしよう。行捨とは、 内心に布施の心を持つ事である。 もし、布施の心を持てたなら、あなたは貪欲ではありえない。 有る人が我が講堂に来て、私が加持したブレスレッ…

「四煩悩を断つ」(「断除四煩悩」翻訳文)―33

7、やすらぎ 内心が平和な時、世界は平和になるーー 我々の心の中には非常に貴重なものが隠されているーーそれは やすらぎである。 やすらぎとは、心の中の安楽と静けさの事を言う。心の内が平 和になったならば、外部にある世界は、縁に沿って(自在に生き…

是誰庵のひとやすみ~53>誤解された無我

仏教が好きな人の中で、仏陀の説いた<無我>について、 延々と議論している人がいる。 無我を文字通り<私はいない>と理解して、私は<いるか> <いないか>を延々と議論している(注1)。 議論はやめて、修行したら分かる事を、延々と議論して いるから…

「四煩悩を断つ」(「断除四煩悩」翻訳文)―32

6、無痴 無痴の意味は、愚かでない、という事。 智慧を持ちなさい。 皆さんには、三宝への信頼を持って頂きたい。 仏法のテープを聞いたり、仏法書を読んだりして頂きたい。 より多くの智慧を擁したいと思うならば、法話を聞き、録音 テープを聞いて頂きた…

「四煩悩を断つ」(「断除四煩悩」翻訳文)―31

5、怒らない 仏法を学ぶ者は、怒らない事を学ばねばならない。怒りは 非常によくない習気である。 男性は特に注意して欲しい。というのも男性の修行は女性 に及ばないから。女性についていえば、彼女たちは余り 癇癪を起す事はない。彼女たちは優秀です(こ…