2016-03-01から1ヶ月間の記事一覧
知人(浄土宗信者)「あなた、どんな修行しているの?」 私「主に瞑想・座禅です」 知人「あら~~、坐禅って、無念無想を目指している?」 「そんなの無理無理」 私「・・・」 いや、坐禅っていわゆる、<枯れ木のような無念無想>を目指 している訳ではな…
最近、ブログに難しい翻訳が続きましたので、一休み、 一休み(笑)。 昨日18日は、謡曲の会の発表会でした。 といっても内輪の会で、招待客とかは、いません。 私は、年末台湾にいて、練習できなかったので、発表会は 参加しないつもりでしたが、「<地>…
5)縁起の過程の中では、ただ縁起法だけが存在している。 一切の現象は、その他の条件が相互に依存することによって、 初めて生じ、そしてそれは、刹那における生・滅なのである。 刹那の生・滅が終わるとすぐに、捻転として、お互いがお互いに 依存しなが…
4)縁起の言語の中には、自我の結生識というものはない。 故に、縁起の中の識とは、6識を指す(6根が6塵と接触 して生じるもの)。 しかし、もしあなたが、6識を結生識と見なすなら、それ でもよい。しかしながら、6識自体を、そのように解釈し たなら…
縁起の原則 縁起の原則とは以下の通りである: 1)6根と6塵が接触する1刹那毎の中に、解脱(訳者注)に有効な 念、智、がないならば、有(bhava)と生(jāti)が出現する。 2)縁起の言語の中には、苦を受ける人間としての、または苦を滅する 人間とし…
もし、《カラマ経》と「四大教法」を掌握し、仏陀の制定した 決定と原則に従って探し求めるならば、我々は積み重なったゴミ の中から、多くの、正しいものを選び出す事ができる。 これは、すべての論典に価値がないと言っている訳ではなく、 厳格に、仏陀の…
原始パーリ経典の中から、仏陀の宣揚した法を探すならば、 我々は二種類の違い、区別をはっきりと、みつける事が 出来る。 第一の部分は道徳で、常見を有する人々を指導する ためのもの。 もう一つは勝義諦で、常見を否定しながら、同時に断見にも 落ないよ…
我々がお互いに注意し合わねばならないのは、仏教の真髄ーー縁起を、 万物霊魂論、すなわち神識が輪廻しているという考えを説明するのに 使う事について、慎重であるべき、ということだ。 この原子、宇宙の時代に、西洋の学者は、このような観念を嘲笑・ 風…
現代社会において、縁起については、二種類の説明の仕方がある。 その内の一つは、歪曲がひどく、実践できない縁起であり、 この歪曲された縁起は、1000年以上にわたって伝えら れてきた。 もう一つは、直接仏陀の本懐に切り込む縁起であり、<根門 の触…
善なる因縁がいまだ改変されていない時、通常、人の習性としては、 道徳に執着して、善行によって安心を得ようとする事が多い。 一旦因縁が改変されたら、執着によって無常なる苦と無我を感じる 事が分かるようになり、道徳もまた決して究極的な依拠処ではな…
(仏教で)道徳の説明をするとき、必ず「人」がいるとか、 「衆生」がいるとか、「私」とか、「如来」とか、言わな い訳にはいかない。 人に幸せの話をするときには、死後における幸福の果報の 話もしなければならない。 しかしながら、勝義諦の話をする時は…
「日常用語」と「法(ダンマ)の言語」~ 縁起の教えを宣揚するにあたって、一つの不思議な事実がある: 仏陀が苦労して教えを弘める時、同時に二種類の言語を使う必 要があった。 一つは「日常用語」で、これをもって、常見に惑わされている 人を指導し、彼…
これこそが、縁起の奥深い理由であり、仏陀のような智者で あってさえも、あらゆる苦労と労力を尽くして、ようやく 発見したものであり、その後に教えを確立して、一切の衆生 を導いた。 このようではあるけれども、縁起はなお、理解しがたいもの であったた…
凡夫は、常見の認識しかもたない。という事は、常に一個の 「自我」があると思っている。故に、凡夫は、縁起について、 非常に奥深く、理解しがたいものに思える。彼らからすれば、 縁起とは、先ほど述べたように、絡まってしまった糸のよう に、奥深くまた…
縁起とは、非常に奥深く、まさに仏教の核心、または真髄である。 元々、縁起とは奥深いものであるが故に、必然的に色々な問題を 引き起こす。 これらの問題は、翻って仏教を害し、その為、仏教徒が、この 核心的な教えから、利益を受けられないという事にも…
《ここより本題》 縁起甚深~ 縁起は、仏教徒にとって、必ず学ばなければならない課題である。 パーリ経典《長部》で述べているように: 正等覚者が善く述べた法は、争いをやめ、梵行を長くとどめ、その 利益を述べ、天と人が安穏を得るために、比丘は、よく…
ブッダダーサ尊者の、縁起に関する解説は、強力な後ろ盾に 依っている。彼は各種の論集を調べるのではなくて、直接 原始パーリ経典に戻り、資料の源流を探索し、かつ常に 教理が現実の中で活用できるにように思惟し、此の生、 此の世で苦を滅したいと真剣に…
縁起を正しく理解する事は非常に重要である。それは我々に、 「私」という観念が、色々な異なった因と縁の条件によって 生滅しているだけである事を認識させ、我々をして「永遠に 存在する不滅の私がある」という謬見から抜け出させること ができる。 元々「…
彼は一生涯「自然」を尊重した。 彼は大自然の中で「如是」の見解を学び、また彼の自己の 生命観の上にも反映させた。 例えば、晩年に病気をした時、彼は「病とは所詮かくの如く であり、因と縁の必然性によって生じるものであり・・・ 痛みは只の感覚であり…
ブッダダーサ尊者は、正しい解脱を求めるのならば、 大自然に向かって学習しなければならないと、考えている。 若い頃、森林の中で修行していた時、動物たちの夜の 行動を観察して、「法」は、世俗のように夜になると 入睡するのではなくて、真実の修行をす…
「生活の中の縁起」(原題「生活中的縁起」) (台湾香光尼僧集団翻訳グループによる前言大意)・・・ 《仏教の全体像を知るためには、南伝仏教は非常に重要である。 台湾は現在、仏教活動が非常に活発であるけれども、南伝仏教 の内に保たれれている原始的…
昨日ブログで、次回よりブッダダーサ比丘の「生活の中 の縁起」(原題「生活中的縁起」台湾にて出版)を翻訳 します、と予告しました所、一読者から「輪廻を否定する ブッダダーサの見解は間違っている」というご指摘を 受けました。 ブッダダーサは、仏陀の…
本日、「断除四煩悩」の翻訳が終わりました。 お読みいただいた方々、ありがとうございました。 私はテーラワーダ(南伝仏教)で出家した尼僧ですが、 北伝の大乗を、全否定している訳ではありません。 それで今回、台湾で出版された仏教書「断除四煩悩」を …
三、結論 皆さんは、心の内部から、仏が教えた法を体験するべきだ。 自発的な心で、自ら体験し、心の深い所で変容する事がない ならば、修行者とは言えず、ただ仏と縁を結んだだけなのだ、 というしかない。 仏法は単刀直入、心性の上に利益をもたらす事が出…
10、不恨(怨恨をなくす) 三毒を浄化し、現実を受け入れるーー 心の中に怨恨、嫉妬、狂妄を持ってはならない。 我々は、自己の内部に潜伏する問題を解決しないならば、 それはいつまでたっても存在し続ける。人と人との間で、 表面的には波風が立っていな…
8、行捨 我々は、不必要な煩悩を捨てようではないか。 自分の懐を痛めて、少しばかり布施をしよう。行捨とは、 内心に布施の心を持つ事である。 もし、布施の心を持てたなら、あなたは貪欲ではありえない。 有る人が我が講堂に来て、私が加持したブレスレッ…
7、やすらぎ 内心が平和な時、世界は平和になるーー 我々の心の中には非常に貴重なものが隠されているーーそれは やすらぎである。 やすらぎとは、心の中の安楽と静けさの事を言う。心の内が平 和になったならば、外部にある世界は、縁に沿って(自在に生き…
仏教が好きな人の中で、仏陀の説いた<無我>について、 延々と議論している人がいる。 無我を文字通り<私はいない>と理解して、私は<いるか> <いないか>を延々と議論している(注1)。 議論はやめて、修行したら分かる事を、延々と議論して いるから…
6、無痴 無痴の意味は、愚かでない、という事。 智慧を持ちなさい。 皆さんには、三宝への信頼を持って頂きたい。 仏法のテープを聞いたり、仏法書を読んだりして頂きたい。 より多くの智慧を擁したいと思うならば、法話を聞き、録音 テープを聞いて頂きた…
5、怒らない 仏法を学ぶ者は、怒らない事を学ばねばならない。怒りは 非常によくない習気である。 男性は特に注意して欲しい。というのも男性の修行は女性 に及ばないから。女性についていえば、彼女たちは余り 癇癪を起す事はない。彼女たちは優秀です(こ…