Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

2016-05-01から1ヶ月間の記事一覧

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-11

上記(No10)について、注疏では以下のような説明がある: 「暫時」:いついかなる時においても、安止定に入りさえすれば、 (暫定的に)煩悩を離れる事ができる;心解脱とは、色界と無色界 心解脱(すなわち:色禅と無色禅)を指す。《無碍解道》の中で は…

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-10

社群の過誤~ 当時、仏陀は引き続き、大空の修習について開示した。 「誠然、阿難、若説楽於群体、取楽於群体、把自己投入 楽於群体、楽於社群、取楽於社群、歓喜社群的比丘能安住 於暫時性与可喜的(色界及無色界)心解脱(rūpāvacara and arūpāvacara-ceto…

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-9

出離之楽:出離の楽(nekkhammasukha)は、已に貪欲及び 欲楽を捨て去った楽をいう。離群隠居之楽(pavivekasukha)は、 貪欲と欲楽から遠く離れた楽を言う。寂静之楽(upasamasukha) は貪、瞋、痴等を、滅し除いた楽を言う。 菩提之楽(sambodhisukha)は…

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-8

比丘不能照耀: 「忙しい時も、そうでない時も、袈裟を縫っている時も、 そうでない時も、群体(=共同生活)を楽しむ比丘は、全員、 優越した成就を得る事はできない。支持してはならない事を 支持してはならない。」 ここにおいて、「群体」とは、自分の内…

是誰庵のひとやすみ~愛犬オハナ

先日、ポリープの検査で医大に行った。 「もし、ポリープが見つかったら手術で一泊」と思い込み(今は超音波 で焼くので、一泊しなくてもよいらしい)我が家の愛犬オハナを どうするか、困ってしまった。 普段なら、一泊ならギリギリ、サークルの中で大人し…

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-7

大空の修習~~ 当時、仏陀は即刻、大空の修習を開示した。 その内容とは、以下の通り: 「阿難、比丘不会因為楽於群体、楽於社群、取楽於社群、 歓喜社群而照耀(世間)。誠然、阿難、若説楽於群体、 取楽於群体、把自己投入於楽於群体、楽於社群、取楽於社…

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-6

(お経では、また以下の記述がある) 当時、在釈迦族加達(Ghaṭā)的精舎裏、阿難尊者与許多比丘 正在忙著做袈裟。 この精舎は、黒安精舎と同じく、尼拘陀園の中にあった。人々は アーナンダ尊者に、袈裟を作る布地を供養した。そのため、彼は、 そこにおい…

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-5

仏陀はまた考えた:「私が四阿僧祇劫と十万大劫でもって、 諸々の波羅蜜を実践・円満したその目的は、共同生活から 離脱するためであった。比丘たちが一たび群れを成して、 共同生活を送り、共同生活を楽しむようになると、彼らは 波羅蜜の実践という目的か…

是誰庵のひとやすみ~5月の庭

私のライフワークである、パオ・セヤドーの著書の翻訳を 再開しました。難しい言い回しが多く、朝の、頭がすっきり している内に一回分を翻訳し、余力があれば(夕方に) もう一回、翻訳するのが日課です。 朝の翻訳が終わると庭に出ます。 5月の我が家の庭…

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-4

仏陀はこのように考えた:「この生死の輪廻の中で、共同生活は すでに極点にまで発展した。水が集まって河になるように、地獄、 畜生、餓鬼、阿修羅、人、天界及び梵天の衆生は、皆共同生活を 送っている。直径が一万由旬の地獄には、衆生が押し合いへし 合…

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-3

上記(No2)に関して、注疏では、以下のように解説している。 実際は、仏陀には、特別疑問はなかった。というのも、彼は菩提樹の 下で開悟した時、已に完全に、自己の煩悩を根絶やしにしたから である。 当該の疑問は、単なる修飾的な意味合いしか持たない:…

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-2

経文の中にはまた、下記のような記述がある: 於清晨時、仏世尊著好袈裟、拿了鉢与外衣進迦毘羅衛城 托鉢。従迦毘羅衛城托鉢回来、用完餐之後、仏陀即前往 釈迦王子黒安(Kāḷakhemaka)的精舎度過白天。 黒安の精舎は、尼拘陀園の片隅にある。そこには塀があ…

是誰庵のひとやすみ~パオ・セヤドー「菩提資糧」翻訳開始。

本日よりパオ・セヤドー(ミャンマー・パオ森林寺院住職、 大業処阿闍梨)の「菩提資糧」の翻訳を開始します。 この本は、1999年4月~5月、台湾の月眉霊泉禅寺で開かれた リトリートにおいて、パオ・セヤドーが話された14回分の 法話と、5回分の質疑応答を記…

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-1

《大空経》 序文 空経には二種類ある。すなわち: 1)《小空経》 2)《大空経》である。 ここで私が皆さんと検討したいと思うのは、《大空経》 である。 一時仏陀住在釈迦国迦毘羅衛城里的尼拘陀園(Nigrodhārama)。 (以下に解説する) 当該の国名が釈迦…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー92/92

縁起とは、どのように実践するものなのか? 唯一の答えは、外境と接触する時、(接触を)明らかに 知るべきであって、正念を失うことなく、無明が生じない ようにし、無明を、苦受となる行、識、名色と六入にまで 発展させないようにする事。 常に本来の状態…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー91/92

覚えておいて欲しい! もし、触が非常に強烈である時、(人に)吃驚するような 感覚が生じる。我々が、ある物を見たり、ある事柄を聞い たりする時、または何かの事件を見た時、吃驚したり、 身の毛がよだつような感じがする場合、それは、触が 非常に強烈で…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー90/92

あなたは、この一連の(現象の)どこかで、(現象を)止める 事ができるだろうか? できないであろう。 それぞれのステップは、皆、お互いに緊密に密接しており、 他の何物かをさしはさむ余地は、ない。 これが「縁」の意味である。 縁起とは、お互いに依存…

ブッダダーサ「生活の中の縁起」(翻訳文)ー89/92

結論~~ 縁起について、我々は、このように言う事が出来る。 1、六根が六境に接触して、縁起の流転または還滅が 生じる時、世間、世間の初因、世間の滅尽及び世間の 滅尽に向かう道、そのすべてが発生する。 これらすべては、この、イキイキとした六尺の体…

ブッダダーサ「生活の中の縁起」(翻訳文)ー88/92

仏陀は、苦は、無明、行、識、名色等からきており、それは、 信の拠り所である、と言った。 言い換えれば、我々は、傷心する必要などなく、怖れる事なく、 退却する事なく、もし、我々が縁起をよりよく利用するならば、 苦は、信の礎となり、信は仏法を育成…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー87/92

もし、有漏がことごとく取り除かれたならば、智見が生じ、 心が無漏の中にある事を照見する(事が出来る)。 解脱が出現する時、有漏をば、ことごとく取り除く智見が 出現する。 滅尽智の出現は、離貪が原因であるが、離貪は、厭離に よって発生する。厭離は…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー86/92

縁起の輻射輪~~~~ 縁起の中の縁起~~ <〇無明→行→識→名色→六入→触→受→愛(渇愛)→取→ 有→生→老死→<苦>→信→悦→喜→軽安→楽→サマーディ→ 如実知見→厭離→離貪→解脱→滅尽智→涅槃〇> (ヒキガエルの頭の上の宝石、〇を発見できた人は自在である) 修行の…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー85/92

所謂「行の増長」とは、縁起における<行>は、身、口、意 の作用を誘発し、それをして、更に強烈化、広範囲に及ぶよう にするものである。 パーリ語でいう「行の増長」とは、美食を咀嚼している時、 行は迅速に増長し、かつ、新しい有と生を引き起こすーー …

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー84/92

上記(No83)は、縁起の意義における識の説明であった。 行が引き起こす識は、結生識ではない。しかし、ただ日常用語 しか知らず、かつ自我、主体があって、それが三世で輪廻して いると思っている人が、識をば、結生識であると、改竄した のである。 私はこ…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー83

パーリ経典には、更に複雑で錯綜している記述がある: 「名色の投入(=身心の状況への対応、変化)がある所、 (この場合は、一口の食物を咀嚼する間)、そこには、 行の増長がある」。 それは、行の造作力が、一回また一回と生じ続け、ますます 強烈になり…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー82

この点に関して、仏陀は、《相応部》因縁篇因縁相応第六樹品 の中で、以下のように言っている: 「比丘たちよ!段食を受用している時、貪、喜、愛が生じる ならば、これに特化した所の識が生じ、かつ、発展して増長する。 識の安住と増長のある所、必ずや、…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー81

一日の内に何度も生起する有と生~~ ここでは、更に詳しく、有と生について解説する。 有と生は、死亡することや、お棺に入るなどということを 言っているのではなく、有と生は、一日の内に何度も、 出現しているのである。 例えば、我々が口の中に食べ物を…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー80

(中略) 簡単に言えば、縁起の生起は、正念がないために、好悪の心が 生じる事が原因であるが、人々は、どのように正念を打ち立て てよいのか知らず、また、苦を滅する「心解脱」も知らない。 心の中にある種の要素がある時、縁起は生起し、その作用は、 こ…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー79

私の、この種の、伝統を打破する思想は、原始パーリ経典の 中に、証拠を見つける事ができる。すなわち、《相応部》 因縁篇食品第一に記載されている所の、四食(注1): 段食(kabaḷiṅkāhāra)、触食(phassāhāra)、 思食(mano-sañcetanāhara)、識食(vi…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー78

まずは取り敢えず、アビダルマの語義で説明するならば、 心が有分(bhavaṅga)にない、という状態の下、心は 有分を離脱して、転向(āvajjana)する。 この時、(心は)未だ「我(我ありという意識)」「我所有 (我がものという意識)」という状態には到達…

ブッダダーサ「生活の中の縁起」(翻訳文)-77

上記(No.76 )は、完全に日常用語での解説であって、 かつ、外道であり、仏教の言い方ではない。 というのも、仏教は、主体をなす識がいたる所に漂って いて、生まれ出る場所を探しているとは、言わないから である。このような言い方は、ただ常見の観念を…