Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

2016-01-01から1年間の記事一覧

「南伝仏教キホンのキ」(翻訳文)3-11

第二節 煩悩とは何か? 煩悩を断じ除きたいと努力するのならば、先に、煩悩とは何であるか、煩悩の種類、および煩悩が生じる原因を理解しておかねばならない。 そうでなければ、症状に見合う薬を見つけることができない、という訳である。 一般的に、人々の…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~4-24

6 三摩地経 ここまでにおいて、四聖諦の意義と、その重要性を説明し終えた。 どのような修行をすれば、四聖諦を了解する事ができるのだろうか? 《諦相応・三摩地経》(Sacca Saṁyutta、Samādhi Sutta)の、以下の部分を(+説明するので)、静かに聞いて頂…

パオ・セヤドー講述「顕正法眼」(翻訳文)~4-23

行法の、無常・苦・無我の三相を照見する為に行う努力は、正精進である。 行法の、無常・苦・無我の三相を憶念して忘れないのは、正念である。 行法の、無常・苦・無我の三相に専注するのは、正定である。 このように、禅の修行者が観禅を修行する時、上述の…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~4-22

5-4 苦の滅に導き至る道聖諦 引き続き、仏陀は第四項目の聖諦を説明する: 「比丘たちよ。 これは苦の滅に導き至る道聖諦である: それは八聖道分であり、すなわち、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。」 時には、八聖道分を道諦(…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~4-21

言い換えれば、無明、愛(=渇愛)、取、行及び業が無余(=完全)に滅尽したことによって、識、名色、六処、触及び受が無余に滅尽するのである。 この種の因と果の無余なる滅尽は、苦滅聖諦または、滅諦と呼ばれる。 この種の滅諦は、観智の目標である。 実…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~4-20

5-3 苦滅聖諦 次に、経文は第三番目の聖諦を説明する: 「比丘たちよ。これが苦の滅する聖諦である: すなわち、この貪愛の無余なる滅尽、捨棄、遣離(=手放し、離れる事)、解脱、無著である。」 当該の経の中で、仏陀は貪愛の無余(=完全な、以下同様)…

是誰庵のひとやすみ~本で頭が・・・ぼやき節

一昨日、図書館に行って、予約していた本を引き取ってきました。 その時「もうすぐ期限が来る本が何冊かあるので、注意して下さい」と、図書司の方に言われました。 現在、図書館から借りて来たのに未読の本、買ってあって未読の本、台湾でもらってきた中国…

「南伝仏教キホンのキ」(翻訳文)3-10

それでは、生命の起源とは何か? いわゆる生命、それは、生から死までの過程を言い、この過程は、また ”輪廻” (saṃsāra)または ”生死輪廻” とも言う。 生死輪廻に導き至る原因は、煩悩である。 煩悩がある時、各種各様の行為が生まれ、これらの行為は、道…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~4-19

《清浄道論》では、三種類の貪愛を、以下のように説明している: 1.欲愛(kāma-taṇhā): 欲望に基づいて色(=身体・物質)、音、香り、味、触、法六塵(法塵は、五種類の浄色、16種類の微細色、心、心所及び概念法、たとえば、安般禅相、遍禅相等を含む。…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~4-18

アッサカ王は、それを聞いた後、即刻、己の行為に恥ずかしさを覚えた。 彼はその場ですぐに、部下に命じて皇后の遺体を取りのけさせ、己の頭を洗った。 彼は菩薩に礼拝すると、自分の城へ帰って行った。 その後、彼は一人の皇后を娶り、王国を公正に統治した…

是誰庵のひとやすみ~仲直り

私は五人兄弟です。 兄二人はすでに亡くなりましたが、残された 三姉妹は元気です。 しかし、近年、仲が少々こじれていました (御多分によらず、ごたごたの発端は、父の 遺産相続ですね)。 私と次姉も、少々ギスギスしていたのですが・・・。 最近、仲直り…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~4-17

菩薩は答える: 「国王。彼女は、己の美貌を過度に自慢して、そのために生活が放逸で、善い事をしませんでした。ゆえに、彼女は、現在、この公園の中で一匹の糞虫(=糞の中の蛆)になっています。 「そんなことは信じられない!」国王は言う。 「それでは、…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~4-16

当時、菩薩はヒマラヤの麓に住む、一人の沙門であった。 彼は、五神通と八定を擁していた。 ある日、彼は天眼通で、インドを観察した所、アッサカ王が悲泣しているのが見えたので、即刻、彼を助けてあげようと決心した。 彼は神通を利用して天空に飛びあがり…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~4-15

5-2-1 アッサカ本生経 昔、名をアッサカ(Assaka)という国王が、カーシ国の波達里という町に住んでいて、公正公平に己の国を治めていた。 彼の皇后ウッバリ(Ubbari)は、彼の非常に愛する女性であった。彼女は非常に美しく、仙女の美しさには及ばないもの…

「南伝仏教キホンのキ」(翻訳文)3-8、3-9

(3-8) 前の一刹那はすでに滅しさって、現在の刹那は壊滅している最中で、未来の刹那もまた必ず、壊滅するであろう。 これが ”無常” である。 世間の万物は皆、無常であり、それらは生・滅の脅威にさらされている為、 ”苦” (dukkha)と言う。 世間の万物は、…

「南伝仏教キホンのキ」(翻訳文)3-7

第三節 生命の本質 仏教では、世間における万物の生起と存在は、皆、各種各様の条件に依存している、と言い、 これらは、”因・縁”と呼ばれる。 多くの縁によって組成された事物と現象は、”縁生法” ”行法” または ”世間法” と呼ばれるが、人間の命もまた例外…

「南伝仏教キホンのキ」(翻訳文)3-6

名色法は、我々が住んでいるこの世界の、すべての物質的現象と心理現象を含んでいるが、ある時には、特別に、心身の現象を指す事が有る。 五蘊は、また名色法とも言い、物質的な身体と、各種の心理現象を含むものである。 こうして、いわゆる生命が構成され…

「南伝仏教キホンのキ」(翻訳文)3-5

名法は、また二種類に分類することができるーー心と心所である。 心(citta)ーー目標を認識する心理的活動。 心所(cetasika)ーー心に随伴して、同時に生起し、かつ、心を助けて、全面的に目標を知ることができるようにする各種の心理作用。 たとえば、感…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~4-14

一切の不善業と、生まれ変わりを齎す善業は、すべて集諦である。 それではなぜ、仏陀は、当該の経文において、ただ貪愛だけを集諦である、と述べたのか? それはたとえて言えば、一粒の種の中に、いまだ水分が含まれているか、または(+エネルギーが)潜在…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~4-13

5-2、苦集聖諦 経文は、第二項の聖諦を、以下のように解説する: 「比丘たちよ。これが苦集聖諦である; それは生まれ変わりを齎す貪愛であり、四方に愛楽を探し求めるが、それはすなわち、欲愛、有愛及び非有愛である。 比丘たちよ。これが苦集聖諦である。…

「南伝仏教キホンのキ」(翻訳文)3-4

では、なぜ、物質的な現象を”色”と言うのか? 色、パーリ語で rūpa 、その語彙は、動詞のruppati から来ている。 その意味は、変質、破壊、圧迫、逼迫である。 故に、仏陀は言う:変質するが故に色と言う。 また、一切の物質は変質する本質を持つが、これを…

是誰庵のひとやすみ~身口意に注意

私は、子供の時から仏教が好きでしたが、 日本の大乗仏教界の現状に疑問を持ち、 30歳過ぎた頃から、タイや緬甸(ビルマ、 ミャンマー)に行って、テラワーダ仏教 (南伝仏教)を学びました。 その過程で、「(人の心を解放へ向かわせる) 仏教ってやっぱり…

「南伝仏教キホンのキ」(翻訳文)3-3

第二節 生命の構成 生命・・・、仏陀の教法の中において、非常に重要な課題となっている。 仏教は、生命の構成について分析し、生命の真相について認識し、生命の本質を研究するが、その最終的な目標は、生命の諸々の苦から解脱する為である。 仏教は、生命…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~4-12

五取蘊とは何か? それはすなわち、色取蘊、受取蘊、想取蘊、行取蘊及び識取蘊である。 色取蘊とは何か? 《蘊品相応・蘊経》(Khandhā Sutta、 Khandha Vagga Saṁyutta)の中で、仏陀は開示し言う: ’Yam kiñci rūpaṁ atītānāgatapaccuppanṇāṁ ajjhattaṁ vā…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~4-11★

比丘たちよ。 求不得苦(=求めても得られない苦)とは何か? 比丘たちよ。 生を受ける衆生が、内心においてこのように願望する: 『どうか私は、生を受けませんように、どうか私は生まれ変わりませんように!』。 が、しかし、このことは願望だけによって達…

「南伝仏教キホンのキ」(翻訳文)3-2

仏教には、非常に重要な禅の修行論があるが、その名を《清浄道論》(visuddhi‐mgga)という。 当該の論では、以下のように解説する: 苦、パーリ語ではdukkha、du(下劣な)+kha(空無な、空虚な、空っぽな)から、構成されている。 というのも、生命は、お…

「南伝仏教キホンのキ」(翻訳文)2‐11+3‐1

《法句(+経)》第165偈で、以下のように言う: ”悪をなすのは、真に己自身による、 汚れることもまた、己自身による。 己自身のみが、悪を為さず、 己自身によってのみ、清浄が得られる。 清浄不清浄は、己自身により、 他人を清められるというような、 そ…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~4-10

「怨憎・会、愛・別離、求・不得」は、有貪の苦(sarāga-dukkha)という。それは、執着によって生じる苦であるから、とする。 仏陀は《大念処経》の中で、このように説明している: 「比丘たちよ。 怨憎会とは何か? ここにおいて、どのような人であっても、…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~4-9

(+前篇「4-8」で述べた)この種の苦以外に、別の経の中で、仏陀は、また別の五種類の苦について語っている。 それはすなわち、愁、悲、苦、憂、悩である。 仏陀は《大念処経》の中で、以下のように解説している: 「比丘たちよ。 愁とは何か? いついかな…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~4-8

5、四聖諦 5-1、苦聖諦 仏陀は言う: 「比丘たちよ。 これは苦聖諦である: 生は苦である、老いは苦である、死は苦である、怨憎会は苦である、愛別離は苦である、求めて得られずは苦である。簡単に言えば、五取蘊は、苦である。」 生、老、病、死は、世俗諦…