Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

2017-01-25から1日間の記事一覧

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~4-47

入息と出息の始まり、途中と最後は、<息の全体>と呼ばれる。 その意味は、禅の修行者は、それらが何であるかを知らなければならないし、それらを覚知しなければならないし、また、正念を鼻先から離して、息に付いていって、身体の内部に入ったり、身体の外…

★「目の中の塵」(翻訳文)1-4

反対に、我々は、教えが存在していることに感謝しなければならないし、またそのほかに、法について解説してくれる教師に、心からの感謝をささげなければならない、我々は、この機会を十分に活用するのでなければ、殺されてしまうのだから。 もし、今、学ばな…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-2

世尊はなぜ、弟子たちに対して、「掌中の葉」ほどの、非常に少ない法しか、説明しないのか? それは、「掌中の葉」の法は、利益があり、梵行の基礎と関連しており、厭離、離貪、滅尽、寂静、勝智(=優れた智慧)、正覚、涅槃に導くが故に・・・、仏陀のその…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-1

序説 ある時、世尊は僑賞彌(=コーサンビー)の黄檀の森にいました。その時世尊は、黄檀の木の葉を何枚か掌に乗せて、比丘たちに聞きました: 「比丘たちよ。あなた方は、どう思いますか?私が拾って、手の中に置いた、この何枚かの黄檀の葉っぱの方が多い…

是誰庵のひとやすみ~瞑想は万能か?

先日、『悟らなくたって、いいじゃないか』(タイの プラ・ユキ師と魚川氏の対話)という本が出版された、 と聞きました。 さっそく図書館に申し込みをしましたが、手元に届くには、もう暫く時間がかかるそうです。 聞き及んだところによると、プラ・ユキ師…

★「目の中の塵」(翻訳文)1-3

仏陀は答えて言う: 「私が弟子を殺すと言う意味は、私は彼ら(彼女たち)を、それ以上教えない、という事を意味します。というのも、「法」の角度から言うと、我々は、この種の弟子は、すでに死んでいるのです!それが故に、私は彼らを殺す、とあえて言うの…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~4-46

心は途中、真ん中:(+心は)心臓の近く、その上にあるので、<途中><真ん中>(+と言う)。 鼻の先端は最後:鼻孔の場所は最後:これは「入息と出息」という、この一般的な語彙の運用に限界がある(+ので、こう表現するよりほかない)。というのも、そ…