Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

2017-01-01から1ヶ月間の記事一覧

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~5-4

8-2 長いと短い 上述のように息を数える時、あなたは、息に対して、心をして専注させることができ、静かに単純に息を覚知することができる。もし、このようにして、少なくとも半時間専注することができたならば、あなたは、次の段階に進まなければならない。…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~5-3

8-1-5 息を数える時間はどれくらいか? では、息は、どれくらいの時間、数える必要があるのか? 心が、コントロールされなくとも、禅の修行の目標から離れないで、かつ、自然に、まったくの努力なしに、息に専注できる時に、数を数えるのをやめることができ…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~5-2

任務(payoga)とは何か? この任務は、欠陥、諸々の蓋と、尋を取り除く。 初禅を証悟する時、すでに諸々の蓋は取り除かれており、第二禅では、尋が取り除かれている。 精進によって、心身を運用して、正精進が顕現した人は、欠陥、諸々の蓋、尋を取り除くこ…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~5-1

8 安般念の修習方法 8-1 数息 (略) 8-1-1 穀物を数えるように息を数える (略) 8-1-2 放牧者のように息を数える (略) 8-1-3 注意点 上に言うように、かくの如く快速に息を数える時、禅修行の業処は、一つのはっきりとした、絶え間ない過程であることを…

是誰庵のひとやすみ~マハーシ瞑想のラべリング

もう 20 年近く前に、緬甸の瞑想方法のひとつ、マハーシ瞑想の<ラべリング方式>というのを学びました。 たとえば、烏が<カー>と鳴いているのを聞いて「音」「音」「音」とラべリングする。 (烏の)鳴き声で嫌悪感を生じないよう、「これは音に過ぎない…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-3

この「掌中の葉」という<法>は、一体どういうものであろうか? この「掌中の葉」の<法>とは、四聖諦の事である。 ただ四聖諦のみが、正しく厭離、離貪、滅尽、寂静、勝智、正覚、涅槃へと導くことのできる<法>なのである。 世尊は、布施、持戒、生天、…

★「目の中の塵」(翻訳文)1-6

ある種の、多く人々にとっては、悪業、地獄などの(+概念でもって)恫喝し、彼らに善業をなすよう促す必要がある。 これはまさに、(+馬に)鞭を見せるようなものである。 これが仏陀がなぜ以下のように言ったのか、という 理由である: 「慙・愧と恐怖は、…

是誰庵のひとやすみ~春節の風

昨日1月28日は陰暦の正月(いわゆる旧正月)、 春節の始まりでした。 その春節の日に、タイから電話がありました 「サヤレー!春節おめでとう!」 アーチャン・チャーの森林寺院にいる兄弟子 からです。 そして、彼は言います「サヤレー、最近、タイ人も緬甸…

★「目の中の塵」(翻訳文)1-5

みなさんも、皆、第一番目の弟子になって、ただ一度教えたら、心内において、真理を悟る人間になって頂きたいーーこのような弟子は、非常に少ない(+けれども)。しかし、ある種の人々は、己自身の為すべき事柄に対して、非常に簡単に理解することができる…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~4-50

これはちょうど、一人の人間が、山の上から駆け下りてきて、頭に乗せてあった重い荷物を降ろした後、背筋を伸ばして立っている時の様に、彼の呼吸は粗くてはっきりしていて、鼻から呼吸するだけでは足りず、口でも呼吸するのに、似ている。 しかし、彼が疲れ…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~4-50

7-7 身の行を静める 次は、安般念の第四の段階の説明である。 仏陀は開示して言う: 「彼は以下のように訓練する: 『私は(息の)身の行を静めながら、息を吸う。』 彼は以下のように訓練する: 『私は(息の)身の行を静めながら、息を吐く』。」 その意味…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~4-49

7-6-2 現在形と未来形 ある段階において、彼は、長い息と短い息を覚知しなければならない。その時、完璧に、他の事柄に気をとられてはならない。 ただひたすら、このように実践した後にはじめて、彼は、智、定と戒を惹起するよう、努力しなければならない。 …

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~4-47

入息と出息の始まり、途中と最後は、<息の全体>と呼ばれる。 その意味は、禅の修行者は、それらが何であるかを知らなければならないし、それらを覚知しなければならないし、また、正念を鼻先から離して、息に付いていって、身体の内部に入ったり、身体の外…

★「目の中の塵」(翻訳文)1-4

反対に、我々は、教えが存在していることに感謝しなければならないし、またそのほかに、法について解説してくれる教師に、心からの感謝をささげなければならない、我々は、この機会を十分に活用するのでなければ、殺されてしまうのだから。 もし、今、学ばな…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-2

世尊はなぜ、弟子たちに対して、「掌中の葉」ほどの、非常に少ない法しか、説明しないのか? それは、「掌中の葉」の法は、利益があり、梵行の基礎と関連しており、厭離、離貪、滅尽、寂静、勝智(=優れた智慧)、正覚、涅槃に導くが故に・・・、仏陀のその…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-1

序説 ある時、世尊は僑賞彌(=コーサンビー)の黄檀の森にいました。その時世尊は、黄檀の木の葉を何枚か掌に乗せて、比丘たちに聞きました: 「比丘たちよ。あなた方は、どう思いますか?私が拾って、手の中に置いた、この何枚かの黄檀の葉っぱの方が多い…

是誰庵のひとやすみ~瞑想は万能か?

先日、『悟らなくたって、いいじゃないか』(タイの プラ・ユキ師と魚川氏の対話)という本が出版された、 と聞きました。 さっそく図書館に申し込みをしましたが、手元に届くには、もう暫く時間がかかるそうです。 聞き及んだところによると、プラ・ユキ師…

★「目の中の塵」(翻訳文)1-3

仏陀は答えて言う: 「私が弟子を殺すと言う意味は、私は彼ら(彼女たち)を、それ以上教えない、という事を意味します。というのも、「法」の角度から言うと、我々は、この種の弟子は、すでに死んでいるのです!それが故に、私は彼らを殺す、とあえて言うの…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~4-46

心は途中、真ん中:(+心は)心臓の近く、その上にあるので、<途中><真ん中>(+と言う)。 鼻の先端は最後:鼻孔の場所は最後:これは「入息と出息」という、この一般的な語彙の運用に限界がある(+ので、こう表現するよりほかない)。というのも、そ…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~4-45

へそをもって、始まりであると言うのは、その起点を言うのであって、それの始まる、時間を言うのではない。 というのも、実際、息を構成する微小粒子の生起は、へそから、鼻の先端までの息全体において、生じているからである; それらがどこで生起しようと…

★「目の中の塵」(翻訳文)1-2

仏陀は言う: 「私は、私の弟子たちにも、同じ方法を使います。」 凱希は、非常に驚いて、尋ねた: 「あなた様は、沙門であり、仏陀であり、覚者であり、隠者であるのに、弟子があなた様の指導に従わないという理由で、彼らを殺してしまうのですか?」 仏陀…

★「目の中の塵」(翻訳文)1-1

第一章 調教師 仏陀の時代に、ある一人の有名な馬の調教師がいて、名を凱希と言った。 ある日、彼は仏陀に言った。 彼が馬を調教する時、四種類の異なる調教の方式がある。 第一番目は、馬に(+教えたい内容を)ただ告げるだけで、その後、足を使って命令す…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~4-44

7-6-1 始まり、中間と最後 へそは、外に向かって流れる気の始まりであり、心はその中間で、鼻先は、最後に当たる。 鼻先は、内に向かって流れる気の始まりであり、心はその中間で、へそは最後に当たる。 もし、彼がこのように(+息に)付き従うならば、彼の…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~4-43

ある種の比丘の、入息または出息は、始まりの段階では非常に明確だが、途中と最後が不明確で、彼はただ、最初の始まりの息だけを、はっきりと覚知し、専注することができ、途中と最後の息を覚知したり、専注したりすることができない。 また別の比丘(二番目…

是誰庵のひとやすみ~ケーマ尼著書の翻訳開始

明日から、アヤ・ケーマ尼の「目の中の塵」(原題『眼中微塵』)の翻訳を始めます。 ケーマ尼はユダヤ人で、アーチャン・チャーのお弟子さんです。 アーチャン・チャーの法話は、その時その時の対機説法なので、要点がよく分からない時があります。 それを、…

「南伝仏教キホンのキ」(翻訳文)5-14(最終回)

”万事起頭難(何事も最初が難しい)”。 訓練を始めたばかりの頃、自分にとって、心を調伏するのは無理だ、などという心配をする必要はない。 というのも、ほとんどの人が誰でも、このような段階を踏んで、進まなければならないからである。 修行を実践するの…

「南伝仏教キホンのキ」(翻訳文)5-13

我々が、業果の法則を理解し、認めるならば、この種の規則性を、遵守するべきである。 もし、更なる美しい未来を望むのであるならば、身口意における悪業を為してはならず、身口意における善業をなして、未来を変革するべきである。 言い換えれば:人生の浮…

「南伝仏教キホンのキ」(翻訳文)5-12

一切の行為は、みな心から始まる。生命の活動もまた同じである。 先に心が生じて(動機)、次に身体の行動と、言語表現が生まれる。 言い換えれば、身・口・意の三業の内、意業が最も重要である、ということである。 意業による主導的な作用があって、はじめ…

「南伝仏教キホンのキ」(翻訳文)5-11

第四節 調心の意義 仏陀は《法句・双品》の中で言う: ”諸法意先行、意主意生成; 若以邪悪意、或説或行動、 由此苦随他、如輪随獣足。 諸法意先行、意主意生成; 若以清浄意、或説或行動、 由此楽随他、如影随於形。” (+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。…

「南伝仏教キホンのキ」(翻訳文)5-10

たとえば、あなたが誰かの言動に対して怒っているとして、それは、あなたが、その人の言動を気にしているからであって、その時、あなたの心は、その人の言動の罠にかかっているのである。もし、あなたが、あなたの心を、彼の言動から引き離し、己自身の心を…