Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

2017-10-02から1日間の記事一覧

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-24

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> メーチ・ケーウは、真迫の画面を見た: 骨と地大は融合し、両者は合併して一つとなり、同じ一つの元素となった。 最後の残余の骨が、それ本来の元素の状態に戻った時、彼女は、深々と、身体には実質が無いという…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-23

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> メーチ・ケーウは、毎日、かくの如くに、禅の修行をした。 一回また一回と、何度も重複して、内部の死体に専注した。 その結果、死亡の相と敗壊(=壊滅する事)の相が、慣性的・習慣的思惟になるまで薫陶され、…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-22

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> その日の深夜、メーチ・ケーウは、サマーディの深い定から出て、意識流がゆっくりと、身体の各部分に際限なく散らばるのを感じ、それと同時に、最後には、身体全体を感知するのを、体験した。 この時の彼女の覚知…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-21

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 今、アチャン・マハブーワが、いきなり介入して来て、その一切を変えた。 彼女の意識は中心に集まり、心性と合一し、完全に、純潔な覚知の微妙な本性と一体化し、その全体が、甚だ深い寂静の中に、息づいた。 こ…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-20

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 心専注仏法、 (心が仏法に専注する時) 初歩的内観是看到執着色身体引起的苦。 (その初歩的な内観は、身体に執着する事によって 引き起こされる苦を、見る事である。) 那些看清楚色身的人、 (身体の本質によ…