Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

2017-02-01から1ヶ月間の記事一覧

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~5-31

ちょうど、老朽化した家屋が、新しい柱で補強されて、直立して倒れなくなるように、同様に、精進によって強化されると、発心した禅修行者は、撤退しないし、または道徳的な腐敗もしない。 補強・強化という特徴は、このように理解されるべきである。 戦場に…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~5-30

8-6-2-2 精進(viriya) 精進とは、奮闘努力の境または行為である。 その特徴は、支持、奮闘、または具生、或いは相応の名法(心と心所)を駆動して、目標に向かわせる事であり、たとえば、(+その目標とは)安般念禅相などである。 その作用とは、支持また…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~5-29

「激発(=発奮)」の特徴について、《殊勝義註》では、また別の譬えを使って、以下のように解説している。 鰐、怪物、鮫、夜叉などがいる大きな河の両岸のそれぞれに、大勢の人々が立っていてるが、恐ろしくて、河を渡れない。 一人の勇士が河を渡るために…

是誰庵のひとやすみ~政治と宗教

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~5-28

信について、《殊勝義註》では、以下のように言う: 信の特徴は、浄化と激発(=発奮)である。 転輪聖王の清水宝石のように、水の中に放り込むとそれは、個体、堆積物、水草及び泥を沈殿させることができ、混濁した水を清らかに、かつ透明で、また、汚染の…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~5-27

8-6-2 諸根のバランス 安般念禅相に専注する時、有分心に落ちるのを避けるためと、また、引き続き定力を向上させる為に、あなたは五根(+の力)に頼らなければならない; 信(saddhā)、精進(vīriya)、念(sati)、定(samādhi)、慧(paññā)によって、…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~5-26

8-6-1 使処清浄 使処清浄とは、内部と外部を清浄に保つ、という意味である。 あなたの頭髪、爪また体毛が長いとき、また体中が汗まみれの時、これを内部不清浄、という。 古くて悪臭を放つ袈裟を着ていたり、住まいが汚い時、これを外部不清浄、という。 こ…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~5-25

8-5-7-7 姿勢 歩くのが己には適していると思う人もいるし、立つまたは座る、または横になるのが適している、と思う人もいる。 住む所の問題と同じく、あなたはそれぞれ、三日ほど試してみて、定のない心をして定を得させ、またはすでに定のある心に、更に定…

是誰庵のひとやすみ~少欲知足

大昔の中国、尭に「帝位を譲ろう」と言われた許由は 「ああ、いやなことを聞いた」「頴水で耳を洗おう」 と言った、のだそうです。 昔、一個の樽を我が家となし、住していたギリシャの哲人は言いました: 「王よ、あなたが私を訪ねてきて、何か一つ望みを言…

★「目の中の塵」(翻訳文)2-2

20年か30年の仕事人生の中で、我々はもしかしたら、多くの人物を演じるのかも知れない。 少しばかり思い出して頂きたいのは、この一生の間に、あなたがどれくらいの人物を演じたことか・・・女の子、姉妹、学生、友人、恋人、母親・・・これはまだ少ない…

★「目の中の塵」(翻訳文)2-1

第二章 演劇 シェークスピアは言う: 「世間とは、すなわち、一個の舞台であり、男性と女性はみな、俳優である。」 仏陀もまた、シェークスピアのこの言葉に、賛成するに違いない! 我々は、シェークスピアのこの言い方を多少推し進めて、仮に我々が、重要な…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~5-24

8-5-7-4 人 人:無益な言論をなさず、戒行・功徳を擁し、定のない心をば、定を得る様にすることができ、または、既に定のある心をして、更に定を深める人は、適切な人である。 己自身の身体に関心を寄せすぎたり、運動や、身体のメンテナンスに忙しく、無益…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~5-23

獣語(tiracchānakathā): 多くの翻訳者は、この言葉を「獣語」と訳している。しかし、tiracchānakathāを直訳すると、「横に向かって歩く」である。 この語彙は、動物の事を言っているのではあるが、注釈(中部註)の解説では、ここでは横に向かって歩く言…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~5-22

8-5-7 禅相を守る あなたは、一つの種類ごとの姿勢において、同様の方法によって、正念をもって、禅相に専注しなければならない。 もし、一回の座禅・瞑想の時に、禅相への専注を通して、ジャーナを証得することができたならば、それは非常によいことである…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~5-21

8-5-5 二種類の禅定 二種類の禅定がある:近行定と安止定である。 安止定は、心が持続的に、不断に、目標、たとえば、安般念似相に、完全に沈入するものである。この時、当該の(禅修の)目標を覚知する心の合間に、有分心が生起することはない。 禅支はすで…

是誰庵のひとやすみ~生きててよかった(笑)

子供の頃から仏教が好きで、色々な仏教書を、手当り次第、読んでいた私。 で、日本の禅僧が、自著の中で、<非想非非想処(禅)>について、「想像もできない境地」と書いてあったのを読んで、子供心に、「高僧の理解できない境地って何?」「非想非非想処と…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~5-20

異なる人には、異なる形態の禅相が生じる。というのも、禅相は「想(=思い、以下同様)」から生じるからである。 禅相が出現する前、異なる禅修行者の異なる想によって、異なる禅相が生じる。 禅相は想から生じる・・・その根源は想である。異なる想から禅…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~5-19

8-5-4 各種の異なる禅相 安般念の修行によって生じる禅相は、人によってそれぞれ異なっている。 それは、人それぞれの違いによって、異なってくるものである。 ある種の人々にとっては、禅相は、軟らかい感じである。 たとえば:綿花、広げた綿花、空気の流…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~5-18★

8-5-3 特徴に注意を払ってはならない あなたは、呼吸または禅相の四大の特徴に、注意を払ってはならない。 すなわち、硬さ、粗さ、重さとやわらかさ、滑らかさ、軽さ、流動性と粘着性、熱さと冷たさ、支持性と推進性である。 もし、それらに注意を向けたなら…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~5-17

8-5-2 禅相の色彩と形状に注意を払ってはならない 始めのころの禅相は不安定であるが、その時はまだ禅相に注意を払ってはならず、ただ呼吸にのみ、専注するべきである。あなたの、呼吸に専注する定力がますます深く、ますます安定するとき、禅相もまたますま…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~5-16

8-5-1 安般念禅相とは何か 安般念禅相とは何か? あなたの定力が十分に強いとき、呼吸は禅相に変化する。 呼吸は、心生色聚から構成されており、その中の一粒ごとの色聚の中には、少なくとも9種類の色法が含まれている、すなわち、地界、水界、火界、風界、…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~1-15

8-5 禅相と光 もし、毎回の座禅・瞑想の時に、微細な呼吸に一時間以上専注することができ、かつ、そのような状態が、少なくとも三日間続くようならば、通常は、この時、禅相が出現する。 ある種の禅修行者について言えば、光は禅相が現れる前に、出現する; …

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~5-14

ただし、故意に呼吸を、長くしたり、短くしたり、または微細にしたり、変化させてはならない。 もし、このように呼吸をコントロールするならば、あなたの精進覚支と択法覚支は強くなりすぎて、定力は徐々に、減退する。 呼吸を自然な状態のままに、専注する…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~5-13

どのような禅修行の業処であっても、それは、正念のある人、また、徹底的に明覚を得た人だけに成就を齎すものではあるが、しかし、この業処(=安般念)以外の、どのような業処も、専注すればするほど、業処が鮮明になってくるのである。 しかし、安般念は育…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~5-12

上記(5-11)に述べたのは、修行の方法である。 禅の修行者は、禅修行の目標が顕現しない状況を知る必要があるし、また、以下のように思惟する必要もある: 「これらの入息と出息は、どこにあるのか?それらはどこにはないのか?それらは誰の中に存在してい…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-13

(一)心の専注とは何か? 非常に多くの修行者は、修習を始める、その最初に、己の心に雑念があることを発見すると、過度に心配し、憂鬱になる。 実際は、修行者が、雑念に追随しないか、または陶酔しない、という態度を取ることができたならば、己自身を必…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-12

◆結論: (一)定が「安定して、かつ活力に満ちている」状態である時、我々は、それを「正定」と呼ぶ。 (二)多くの修行者は、彼らの心を凍結するか、または彼らの修行の目標を凍結して、そのことによって、安定性を得ようとする傾向がある。しかしながら、…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-11

経文の中で言われている「心における一境性への専注」は、実際には、一種の動的な状態を言う。 たとえば:我々が一丁の電燈を見る時、その光は安定しているように見えるため、我々は、それを静止しており、不変な状態にあるのだ、と認定する。 しかしながら…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-10

それならば、定を「(+心が)安定していて、不変である」状態であると定義して、間違ってはいないのではないか? 重要なキーポイントは、それは必ず「善なる」でなければならない、という事である。 上記の事柄は、我々に対して、以下の事を正確に認識する必…

☆「掌中の葉」(翻訳文)1-9

上記(1-8)の偈の中には、三つの要点が含まれていて、 そのうちの二点は、戒の範疇に属するものである: 一、不作諸悪ーー 身業に関して:不殺生、不偸盗、不邪淫; 口業に関して:不妄語、不両舌、不悪口、不綺語; 意業に関して:不貪婪、不瞋恚、不邪見…